いつも、歩いて町まで買出しに行ってくれているアパー。
一斗缶で買う食用油や
10キロ単位で買う、ツァンパや小麦粉。
それらはどれも、
力持ちのアパーでないと、運べない重さです。
あまりにも荷物が多い時は
「クリ」と呼ばれる荷運びの人に、運搬を頼みますが、
運んで欲しいタイミングが合わない時も、しばしばです。
アパーもさすがに限界が来たのか
最近は、肩の筋肉の痛みを訴えるようになりました。
これから子ども達が成長期を迎えると
食料の調達は、さらに重労働になって行きます。
そこで…
かねてから検討していた自転車を
アパーの買い出し用に、購入させていただくことにしました。
自転車が嬉しくて仕方のないアパーと子ども達。

購入以来、アパーは
暇を見つけては(いや、暇じゃなくても!)
自転車を走らせるために
いそいそと出掛けてゆきます。
ただ、ただ、ひたすらに
自転車を走らせています(笑)。
お陰で、クンデ・ハウスが自転車を購入したことは
ご近所の皆さんに、あっという間に知れ渡りました。
「さっき、アパーを○○のあたりで見かけたよ。」
などと教えてくれたりもします。
随分いろんな道を、走っているようです。
アパーの自転車熱が冷めるまで
しばらく時間が掛かりそうです(苦笑)。
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被災地からの続報は、次々にもたらされています。
今回の地震で亡くなられた方々の魂が
迷わずに導かれますように…
ケガをされた方々
家や財産を失われた方々の人生が
速やかに回復されますように…
そう祈りながら、日々を過ごしています。
地震以後、暗い話ばかりのブログでしたが…
本日は、クンデ・ハウスに新しいメンバーを迎えたことを
ご報告させていただきます。
新メンバーの名前は、プルパ・サンモ。

年齢は、3歳10ヶ月。
女の子です。
プルパ・サンモは、ネパールで生まれた難民2世です。
TCPは本土から来た難民の支援をする組織として
これまで、クンデ・ハウスの入居に関して
ネパールやインドで生まれた難民2世の
受け入れはお断りしていましが
今回は、プルパサンモの生活環境を総合的に審査して
現段階での保護が必要と判断し
特別に入居することになりました。
最年少の入居者となったプルパ・サンモが
一日も早くクンデ・ハウスの環境に慣れ
健康な体と、基本的な生活習慣を身につけられるよう
スタッフも努力して参ります。
地震の後の沈んだ空気は
まだまだ晴れることはありませんが
今日よりまた、元気にブログを更新したいと思います。
いつも暖かくご支援くださり
心より感謝申し上げます。
4月14日の東チベットの地震から、
10日が経ちました。
現地から、次々に
悲しい知らせが届きます。
初期救助がなされていたなら
助かる人はたくさんいた…
そんな、悲痛な報告が多いです。
TCPスタッフの家族にも親族にも家にも
甚大な被害が出ました。
ネパールに住むチベタンは
本土に残してきた家族のいる亡命者も多く
とても打ち沈んだ空気に満ちています。
追悼のためのプジャ(祈祷)が
連日、朝早くから執り行われています。
毎日、アムチとアパーが参加しています。
しばらくブログの更新が
遅れがちになるかと思いますが
どうかお許し下さい。
TCPネパール現地に
被災地から直接もたらされた
地震の情報をお知らせします。
「玉樹の9割の家が崩壊している。
地震直後から、倒壊した家屋の瓦礫の下から
たくさんの救出を求める声があがっていたが
手の施しようがなかった。
死体が散乱し、重症の人達が一面にいて
とても歩ける状況でなかった。
漢族への援助は率先して行われているが、
チベット人へは、ほとんどない。
チベット人同士で、
ツァンパや即席ラーメンなどを分け合うなどしている。
郊外の寺から支援物資として、
食糧や毛布などが若干、届いた。
政府による救助活動は「異常に」少ない。
見かねた近郊の18の大僧院の僧侶が
救助に当たろうと玉樹ヘ向かったが
政府への不満がデモになることを恐れ
被災地区に入ることが許されない。
現在も500人の僧侶が、入域の許可がおりず
玉樹郊外で待機している。
しかし待ちきれない僧侶らは、強行に玉樹へ入り
人海戦術で独自の救出活動を行っている。
玉樹には8ケ所の孤児院があり
(1か所おおよそ50人前後の子供たちが入所)
すべての施設が全壊し
ほとんどの子供たちは生き埋め状態で亡くなった。
1~2万人の死者が出ている模様だが、
その数字は定かでない。
しかし中国側の出す数字以上に
たくさんのチベット人が亡くなっていることは確か。
CNNやBBCも中国に規制され、
映像やレポートの内容もすべてチェックを受け
報道の自由を失われてる模様。
一昨日より、ほとんどニュースに地震の報道は無い。
3日前から、僧侶たちの手によって
遺体が郊外に集められ、火葬を行っている。
その数、毎日700人以上。
チベット人が一番心配しているのは、
死の準備が全くできない突然の死で、
多くの魂が死を受け入れられずに
彷徨っていること。遺体や家、土地に執着しないように
早めに遺体を処分して、
魂を転移してあげなければならない。
また、この混乱に乗じて
玉樹にある数100年前に建立された尊い仏塔を、
中国側が許可なく勝手にシャベルカーで破壊した。
この仏塔は以前より、中国側から取り壊したいとの申し出があり
その都度、僧院側から拒否されていた。」
以上が現地からの報告です。
今回の震災で、カム出身のアムチは、
親族、友人にたくさんの死者が出ました。
姪は、大怪我を負いました。
亡命の身では、助けに帰ることさえ許されません。
どれほどもどかしい気持ちかと察します。
毎朝、アパーと共に朝6時から
お寺のプジャ(祈祷)に参加しています。
ご心配頂いておりました
ミンドゥリン・プロジェクトの支援地には
地震の影響はほとんど無いそうです。
ダライ・ラマ法王は、今回の被災地を慰問して
被災された方々のために祈りを捧げることを
熱望されているとのことです。
被災地よりの報告からもご理解いただけるように
それは、現地のチベット人たちを
何よりも、慰め、癒し、活力を与えます。
どうか、この望みが叶えられますように。
既にご存知のように
4月14日午前7時49分(日本時間同8時49分)
マグニチュード(M)7.1の地震が東チベットで発生しました。
震源は、北緯33.1度、東経96.7度付近と報じられており
ここは青海省玉樹の中心の結古鎮に近い場所です。
TCPの前身にあたりますミンドゥリン・プロジェクトは
その支援の拠点を、青海省玉樹吉尼賽という場所に置いていました。
今回の震源から、直線距離で約140Km離れた場所です。
ミンドゥリン・プロジェクト時代からのサポーター様より
現地の様子のお問い合わせがありました。
いたずらに不安を募らせるよりも
ますは状況の確認を…と思っておりましたが
現在のところ、報道機関からもたらされる以上の情報は
残念ながら、何ら確認できておりません。
現地は標高が高いため
夜間の冷え込みが厳しく
被災された方々の健康が心配です。
一刻も早い救援が必要であると言うのに、
中国政府は「外国の援助は受けない」として、
アメリカや日本の救援隊の派遣を断っています。
■下記:ニュースより転載■
【中国地震】
日本の援助隊派遣を断る「外国の援助は受けない」
MSN産経ニュース 2010.4.15 15:29
中井洽国家公安委員長(防災担当相兼務)は
中国青海省で起きた地震で、
日本政府が国際緊急援助隊の派遣を中国に打診したところ
「今回は外国の援助は受けない」との返答があったと
15日、明らかにした。
国家公安委員会後の記者会見で述べた。
転載はここまで。
救援隊の受け入れ拒否などと言う
おろかな判断をしているうちに
被害者の生死の分岐点とされる
「72時間」が既に過ぎてしまいました。
結局のところ、このような場合に
私達が出来ることは、祈ること…。
そして現実的に、個人として最も効果的な貢献は
現金を寄付することだと思います。
しかし残念なことに、寄付の先を誤ると
被災者を全力で救う最善の策をとらない政府に
お金が流れることになります。
ご寄付をなさる場合には、
くれぐれも寄付先の団体の活動実績を調べ
信頼できるルートを選択なさってください。
そしてどうか、決してご無理のないようになさって下さい。
また、毎回のことではありますが
現地は厳格な情報統制の元にありますから
一刻も早く、中立的な報道機関の入域を許可させ
(既にCNNなど外国メディアは入域しているようです。)
ありのままの事実を自由に報道させるように
(↑これが重要です。)
圧力を掛けることも、貢献のひとつです。
「ここ数年、中国政府はチベット人の遊牧民を、
強制的に街に移住させる計画を実行しています。
今回の被災地区も、そうやって移住させられた
遊牧民の方々が少なからずいました。
強制移住などさせられず、遊牧生活をしていたなら、
粗悪な建物の下敷きになることもなかったのに…。」
今回の被災地区の出身のチベット人の方より伝わってきた話です。
命を落とされた方々の、ご冥福をお祈りし、
ご遺族の方々、被災者の皆さんに思いをはせ
一日も早く心と体が癒されることをお祈りいたします。
アムチの診療所も、患者さんの数が増えてきました。
患者さんが増えた理由は…
体の不調(病気)が治るから!です。
単純ですが、
やっぱり患者さんにとって医者と言うのは、
治せるか、治せないか
判断基準は、そこです。
とてもシンプルではありますが
やっぱり治せるお医者さんは、評判になります。

診察中の風景。
それからもうひとつ
アムチとして大事なことは
患者さんに寄り添うと言うことです。
患者さんの話をゆっくりと聞き
生活の全般や、性格や気質までもを読み取って
その方の心と身体にじっくりと寄り添います。
いくら診断が正確な医者であっても
患者さんの心を置き去りにして診断を下す医師は
チベットにおいては、優れたアムチではありません。
・病気が治る
・親切で親身
上記の理由で、TCPのアムチは地元の方々の信頼を得て
患者さんが増えているのです。
クンデ・ハウスで子ども達と向き合っている時のアムチは
本当に無邪気で、くだらない冗談を連発する陽気な中年チベタンですが
診療所にいる時のアムチは、威厳に満ちて、静かで、
医術に人格を備えた、まさしく「アムチ」としての顔をしています。
TCPのアムチは、ことのほか薬の製作が得意で
他のアムチが、わざわざ買い求めに来られるほどです。
本土から取り寄せた、さまざまな薬草を厳選し
手間をかけて調合しています。
そんな手塩にかけた薬ですが
お金のない方には、アムチは無償で提供しています。
兄弟の多くを既に亡くし
命のはかなさと、尊さを知っているアムチは
心と体のバランスが取れた健康を提供するためなら
どんなことでも突き詰めて我を忘れてしまうため
経済的なこと、物質的なことには、全く無頓着です。
これからもアムチがさまざまなことを心配せず
安心して診療に専念できるように
TCPはチベット予防医学室を充実させたいと思っています。
引き続き、アパーによるカプセ作りの行程をUPします。
約20分間寝かせた生地がこちら。

生地が、しっとりと落ち着いてきます。
植物油を温めます。

握りこぶし大の生地をひねり取って

油を塗った台の上に、伸ばし棒で薄くのばしいてきます。

包丁で、細長く切ります。

斜めにも包丁を入れ、短冊状にし
真ん中に切れ込みを入れます。

真ん中の切れ込みの中に
生地を通してひねり、このような状態にします。

油が温まってきているので、
急いで生地を成形します。

アパーがなにやら凝った形を製作中。
後ろで、アマーも真剣に作っています。

生地の端を油に落として
すぐに浮いてくる温度になったら
カプセを投入。

こんがりと色が付くまで揚げます。
揚げながら、さらに生地を成形します。
揚げ時間はそれほど長くないので
かなり急いで、生地をさばかないといけません。

揚げたら、油きりのため新聞紙の上に置きます。

カプセの完成です!
「ベーキングパウダーは無ければ入れなくてもいい。」と
アパーは解説していましたが
経験的にいうと、ベーキングパウダーなしで作るとかなり固く仕上がるので
多少なりとも入れることをお勧めします。
甘さはお好みで、砂糖の量を調整して下さい。
やっぱり子ども達には「甘め」のほうが人気です。
本日は、アパーによるカプセつくり教室です。
ネットを検索すると、カプセの作り方が出ていたりしますが
レシピどおりに作っても、何故か「サクッ」とした食感にならない!
という声をよく耳にします。
どのあたりにコツがあるのか、
探ってみましょう。
「では、アパーよろしくお願いします。」
「えー、では最初に、エプロンを付けます。」

緊張気味のアパー、
大真面目です。
「次に手を、よく洗います。」

日本人には、その行程は省いてもらって大丈夫(笑)。
次に粉を入れます。

ここまでの慎重さとは打って変わって
大胆な粉の目測です。
粉の中央にくぼみをつけ
大豆油を入れます(適量)。

手で握るように油を馴染ませます。

両手を揉むようにこすり合わせて
粉と油を充分馴染ませます。

だんだん粉が、ダマになり
ポロポロした状態になります。

砂糖を少量入れます。

粉の中央に穴をあけ、
ベーキングパウダーを一握り投入し
水を加えます。

ベーキングパウダーは入れなくても構いませんが
入れた方がサックとした仕上がりになります
粘りが出始めます。

手を握り、こぶしでパンチを加えるように
よく粉を混ぜます。

よくこねます。

とにかく、こねます。

体重を掛けて、さらにこねます。

よーくよーくこねあがったら
乾燥しないように蓋をして20分程度寝かせます。

結構な力仕事です。
生地を寝かせる間
しばしティータイム。

生地が出来たところで
→カプセ その2へと続きます。
「きれいであること」に対する熱い情熱に突き動かされ
どんどん変化したクンデ・ハウスの女の子達。
大人に近づきたくて
いろいろとアマーのお手伝いもやってくれたり
忙しい毎日です。
変化が著しい分
どうしても女子の成長に目が行ってしまいますが…
男の子達も、のんびりとおっとりと
少しづつ成長しています。
今日はタチェンがお手伝い。

男子チームも「たまに」ですが
洗い物をしてくれます。
どうして「たまに」なのかと言うと
うっかり油断していると
さっさと女の子の誰かが
洗い物係をやってしまうからです(笑)。
女の子たちは、現在おしゃれに興味深々。
髪や顔のお手入れに、余念がありません。
朝起きて、顔を洗ったら、
まずは髪を入念にブラッシング。

「ちょっと、そんないい加減じゃダメよ!」
ささっと簡単なブラッシングですませたチュゾムが
ヌモに注意を受けています。

「こうやって、真ん中で分けるのよ。」
…まだ眠そうな、チュゾム。
真ん中で髪を分けて、ピンで留めます。
鏡でチェックして、終了!

「今日も、ばっちり!」
こちらは、まだブラッシング中のクンサン。
念入りに、お手入れ中。

よーく、見ていただくと
鏡を持つ手の爪が、何故かほんのりピンク色。
どうやらクレヨンで塗った模様。
大家さんの奥さんのマニキュアを、真似たんでしょうね。
お次は、クリーム。
入念に、手にクリームを広げるヌモ。

「こうやって伸ばしてから塗らないと、ね。」
一生懸命、クリームを延ばすあまり
思わず「変顔」になっているダワ。

こちらも変顔のイシ(笑)。

チュゾムは何故か、まつ毛に付けてます(苦笑)。

何を教えたわけでも、与えたわけでもないのに
女の子達の可愛さを追求する気持ちは、
日々加速しています。
女子チームの様子を見ていると
「きれいなりたい!」という気持ちは
本能に根ざしているのではないかと思ってしまいます。
ある日、女の子達の部屋を覗いてみると…

部屋の中がバラバラ!
どうしたのかと、良く見てみると
そこにはイシの姿が。
他の子ども達は、1階の居間で遊んでいるのに
イシは1人で、黙って女子部屋を掃除していました。

きちんと木製の机を動かし
良品のため重いチベタン絨毯をめくって
せっせと掃除をしています。
チベタン絨毯は、大人でも端を持ち上げるのにさえ
相当力が必要な重さなのです。

隅っこまで、手抜かりなく掃除しています。

すごい集中力です。
女子部屋が終わると、男子の寝室に移動。

ベットの下に、潜り込みました。

本当に、隅から隅まで
きれいにお掃除してくれます。
誰に言われたわけでもないのに
イシは部屋を掃除します。
自分が掃除をするからといって
それを他の子どもに強要したりもしません。
時間が出来ると、ふと消えて
黙って掃除をしています。
決して褒められようともしません。
誰が見ていても、見ていなくても
ただ、淡々と掃除をするのです。
そんなイシの心の在り方には
ハッとさせられるものがあります。
バンコクの話題のついでに
石川が毎回、タイに行くたびに感じていた
小さな驚きを共有して頂きたく
おまけ記事をUPします。
(TCPの話題でなくてすみません。)
それは…
タクシーがド派手!度を越した、ビビッドカラーです。
彩度が高いというより、
なんだか蛍光っぽい色なんです。

蛍光むらさきのボディーに、イエローのライン。
いったい、どーゆーセンス?!
タクシーは何故か、どの会社もこんなにカラフル。

蛍光むらさきのタクシーの後続車は
蛍光ピンクのタクシー。
まるでミニカーみたいです。

驚きが、伝わりましたでしょうか…。
さらに、おまけ画像。

慎み深い(と言われている)仏教国のタイは
ご挨拶の時、ワイ(合掌)をする習慣があります。
タイではドナルド君もワイをしてる…と
旅人の間では面白がられています。
明日からは、現地報告に戻ります。
早いもので、もう4月に入ってから1週間が過ぎたのですね…
まだまだ3月のネパール現地の報告を終えていない石川です。
すみません、頑張りますっ!
本日のブログは、ネパール渡航の途中、
トランジットで立ち寄ったバンコクの話題を少し
書きたいと思います。
石川がバンコク入りした3月5日、
バンコクでは下記のような素敵な催しが
バンコク芸術文化センターで
華々しく開催されました。
"From the Himalayas to the Chao Phya River"
「ヒマラヤから、チャオプラヤー川へ」チャオプラヤー川とは、バンコクを流れる大きな川の名前です。
「ヒマヤラ」というキーワードで、鋭い方は何かをお感じかもしれませんが
何とコレ、チベットのさまざまな文化を紹介するイベントなのです。
じゃーん!堂々、巨大な看板。

TIPAも公演に来ているんです!
バンコク芸術文化センター入り口。

新しくて綺麗な建物です。
エントランスの前庭には、もじもじ君:白バージョン?の
巨大なオブジェ。

その左奥に、見覚えのあるモニュメントが…。
2010年3月5~10日まで開催されたこのイベント
2日目には、ダライ・ラマ猊下の妹さんのジェツン・ペマさんによる
講演会が予定されていました。
しかし、直前になってタイ政府はペマさんの入国を拒否しました。
タイの外務省によれば、拒否の理由は
「国際的な政治問題に巻き込まれるのを避けるため」だそうです。
人口の94%が仏教徒 (外務省のHPより)のタイ。
政治問題に巻き込まれることなど恐れずに
強制的に思想や行動を統制する国に意見して
仏教徒の篤い魂を見せつけてやってくれ!!
仏教の真価を、同じ仏教徒として見せつけてやれ!!
(↑ここ、熱くてスミマセン。)
と思ったのですが、ペマさんの講演会は中止のまま
イベントは開催されました。
しかし、かえってこのことがニュースになったお陰で
前宣伝の手ぬるかったこのイベントが、海外にも知れ渡り
石川もこの展示の存在を知ったのでした。
バンコク芸術文化センターは
街の中心部のショッピングセンターエリアにあります。
とても便利な立地です。
石川と旦那も、子ども達の通学靴と靴下を調達した帰りに
立ち寄ってみました。
そんなに大した展示でもなかろう…
と、軽い気持ちで入ってみると
いやー、もうコレがすごかった!
砂曼荼羅を製作していたり…
こちらでは、トルマを作っています。

こんなに充実した展示、日本でも今までなかったと思います。
非常によくまとまっていて、かつ
そのほとんどのブースで、実演が行われているのです。

解説ボードがタイ語のみなのが残念です。
メインエントランスでの砂曼荼羅製作風景。

チベット医学の部屋では
ヒマラヤの薬草から作られた薬や、
「樹木比喩図」を初めとする数々のタンカの展示と解説。

こちらはアムチの製作した、丸薬の薬棚。

そして何よりも驚いたのは
何と、ダラムサラから2名のアムチが来場し
通訳つきで診察を行っていることです!
さすがに診察風景は、写真を控えました。
薬も処方しているようでした。
日本では、医師免許やら、薬事法に引っかかって
絶対にできないアムチの診察ですが
タイは規制がゆるいんでしょうか…。
別の部屋では、タンカ絵師によるタンカの製作が見られます。

別のエリアでは、タンカ絵師による
子ども達への「1日タンカ教室」が行われていました。

ご尊顔の基礎を学んでいる様です。

プロポーションの決め方を細かく指導中。

その他にも、非常に内容が充実した写真展示もありました。
ダライ・ラマ法王が転生者として発見された時のお写真
1954年の北京訪問の折の周恩来とのお写真
亡命し、国境を越えてインド軍に迎え入れられた瞬間のお写真
亡命後の世界の要人とのお写真、などなど
時系列で、そのあゆみが見られる優れた内容でした。
夜には、TIPAの公演もありました。
買い物のついでに寄った割には
あまりに内容が充実していたため
じっくりと見学しました。
「このまま、この展示を日本に持ってきて欲しい!」
旦那と、そう話しました。
誰か潤沢な資金をお持ちのかた
是非、スポンサーになってこの展示を日本でも開催して
得を積んでください。
お願いします!
いつまでリンクが続くか保障できませんが
↓本日現在、まだ展示のご案内が見られます。
「From the Himalayas to the Chao Phya River」
TCPのサポーター様の中には、
ご自分のお仕事の収益の一部を
寄付金として設定し、活動なさっている
クリエーターさんがいらっしゃいます。
「とんぼ玉」作家の、舞玉(まいだま)さんです。
まずは舞玉さんのこれまでの作品の一部をご覧下さい。

こちらは帯止め。
大きさは…
何と、2×2.7cmなんです!
そんな小さなガラス玉空間に
蓮の花が立体的に咲き
彩りの美しい鯉が3匹も元気に泳いでいるんです!
実物は、本当に驚異的な細かさです。
蓮の花弁は一枚一枚に、
葉脈(花弁だから花脈?)が見て取れるんですよ!
蓮の中央の、おしべとめしべの部分も
もう本当に、信じられない繊細さなのです。
さらに拡大した、別作品がこちら。

ちいさなガラスの中に蓮が咲き乱れ
蝶々までが飛んでいます。
一体、どうしてこんな小さな空間に
こうも細やかに、表情豊かに
いろいろなものが表現できるのか
本当に謎です。
昨年、個展をされた時のご案内カードの作品群がこちら。

舞玉さんは、毎回チャリティー玉という
寄付を目的としたとんぼ玉を用意されていて
その売り上げをTCPにご寄付くださっているのです。
2009年の個展の様子はこちら
http://mytama.com/site/gallary/koten2009/koten2009.htm↑このページを、下にスクロールしていただくと
次から次へと、魅力的な作品と
センス抜群の個展会場の全容が、ご覧いただけます。
2009年の個展のテーマは「旅するとんぼ玉」。
これまで舞玉さんが旅行されたアジアの国々に
インスピレーションを得て製作されたとんぼ玉は、
それらの国に行かれたことのある方なら
思わず「そうそう!」と言いたくなるような
アジアの空気が満載の作品です。
個展でご用意頂いたチャリティー玉は完売し
たくさんのご寄付をお寄せいただきました。
2009年個展の会場の様子。

苔を使って箱庭のようにしつらえられた
ディスプレーのセンスが抜群!です。
チャリティー玉のブースでは
TCPの子ども達の写真も展示されています。

舞玉さんのブログには、
どうしてチャリティー玉をつくり寄付をするのか
どうしてそれがチベット支援であり、TCPなのか…
などなど綴られています。
このたび、HPもリニューアルされて
ますます素敵になりました。
HPはこちら→
「舞玉」こうしていろいろな形で、
TCPの活動をご支援いただけることは
本当に嬉しく、感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。
アジア眼科医療協力会のお仕事で
3ヶ月の長きに渡ってネパールでボランティアをされてきた
眼科医の松山先生が、日本に帰国されました。
先生はチミの里親さんをなさって下さっていますが
先生の職場の看護師さんたちは皆さんで
ペマの里親さんをなさって下さっています。
その看護師さんたちも、
ボランティアの眼科医療のお仕事「アイキャンプ」に参加するため
3月にネパールにいらっしゃいました。
そしてクンデ・ハウスをお訪ねくださいました。
皆さんで、子ども達を遊んでいただきました。
ふうせん割りの様子です。

片足に付けたふうせんを、割られないようにしながら
他の誰かのふうせんを割りに行く遊びです。
楽しい遊びを教えていただきました。

折り紙も教えていただきました。

複雑な折り紙作品に、喜ぶタシ。

皆さん、お忙しいお仕事の合間をぬってお越しくださり
ありがとうございました!

松山先生や看護師さんたちは
今回のネパールへの渡航の際には、
たくさんの医薬品やその他の物資を
自らお運びいただき、ご寄付くださいました。
あいにく、カトマンドゥ到着時がバンダで
空港から街への車が走行できず
大量の物資を抱えて、本当にご苦労をおかけしました。
「子ども達に、元気をもらっている!」とおっしゃる松山先生。
いつもご支援くださり、ありがとうございます!水も不足し、電気も満足にない
冬のネパールでのボランティア活動
本当にお疲れさまでした。
今日から日本は、新年度の始まりですね。
うっかりしているうちに時間が経ってしまいましたが
3月の遠足のご報告をさせていただきます。
3月にミンドゥリンの頃からのサポーターのUさんが
TCPをお訪ねくださいました。
Uさんがミニバスを借りて下さり
クンデ・ハウスの子ども達を
遠足に連れて行ってくださいました。
行き先は、コダワリという場所です。

広い池!

かなり整備されています。
広場では、かけっこをしたり

ハンカチ落としをしたりして遊びました。

お待ちかねの昼食。

この日も、アパー手作りのランチ。
法輪の前で、タチェン&タシ。

ペマがちょっぴり渋い男として写ってますね(笑)。

みんなで記念撮影。

楽しい遠足となりました。
Uさん、ありがとうございました!
2月から、クンデ・ハウスの子ども達は
毎週土曜日に、日本語の授業を受けています。
以前、1週間の日本語集中講座をして下さったカオリ先生が
ネパールに長期滞在されることになったので
授業をお願いしています。
本日は、カードを使った授業です。

カードを使ったり、
体を使って動きながら単語を覚えたたり
本当に授業中は、飽きることなく、集中しています。

おかげさまで子ども達は
簡単な日本語の語彙を増やしています。
中でも最年長のダワは、覚えが早くて
日本語の単語をいくつかつないで
何とか、意思表示や会話らしきものを
したりできるようになってきています。
しっかりとしたチベット人のアイデンティティーに
きちんとした敬語が使いこなせるだけのチベット語能力を持ち
さらに、英語、ネパール語、日本語が話せるようになれば
いろんな場面で社会に貢献できる人材に
なれるのではないかと考えています。
そんな勝手なスタッフの思惑とは別に、
子ども達は
必要に迫られて、学校では英語とネパール語を
カオリ先生と見学者の皆様からは日本語を
家に帰れば、アパーのスパルタ授業で美しいチベット語を
ぐんぐんと覚えていて
その頭の柔らかさと無限の記憶力は
ちょっと羨ましくなります。
勉強だと思って覚える語学は、きっと辛いでしょうけれど
日常と遊びの中で覚える言葉は
驚きと、通じる喜びにあふれていています。
社会に旅立つ前に、
たくさんのツールを備えて欲しいと思っています。
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