昨年の年末になって、
突然、大家さんから
クンデ・ハウスの立ち退きを命じられました。
何でも、大家さんが負債を抱えてしまって
その莫大な金額を、2月末までに用意しないといけないとか。
ついては、急いで土地と建物を売却するので
立ち退いて欲しいとのことでした。
…。
ネパールでは契約など、あってないようなもの。
だったら何のための契約?と、毎回思います。
続いて大家さんは、こうおっしゃるのです。
「出来れば、私たちはTCPにこの物件を買ってもらいたいのだけれど…」
して、そのお値段は?
3,500万円!いや、無理です(汗)。
無理ですってば。
日本だってマンションが買える金額です。
ここ数年のネパールの土地バブルを
顕著に示す金額です。
買うことは無理でも
数年分の家賃を先払いして
それを負債の穴埋めに使っていただく…
などなどいろいろな案を提案して交渉しましたが
全て決裂。
平行して、物件探しも始めました。
しかしながら、
クンデ・ハウス規模の引越しが可能な建物は
そう簡単には無いのです。
年明けの3ヶ月は、様々な物件を当たりました。
しかし、よい物件を見つけることは出来ませんでした。
途方にくれていたところ、実は、1年以上前から
「いつかこの建物に移転できたらいいな」と思って
それとなく条件など交渉してきた建物の管理者のチベット人から
吉報が入りました。
海外に住む外国人オーナーの許可が下りず
借りられずにいた建物から
3月の末になって突然、賃貸の許可が出たのです。
条件をつめ、契約を交わしました。
この物件が、アムチの下宿先と同じ
広い広い敷地の中に立つ、今回の建物だったのです。
まさか本当に借りられるなど、思っても見ませんでした。
特に引っ越すあてがあって、畑を作っていたのでもありません。
アムチの下宿先の敷地があまりにも広いのに
何もせず放置されていてので、もったいなくて
食料確保のために、畑を作らせて頂いていたのです。
実を言うと、建物が広い分
賃料がこれまでの3倍以上もするので迷いましたが、
こんな好条件の物件が、他にあるとも思えません。
管理者が、アムチと懇意のチベット人であることも
大変なメリットです。
敷地の周りには、頑丈な塀もあり、セキュリティーも万全です。
それに既に、かなり大きな畑もTCPで作っています。
もしここに住んだら…と想像すると
次々と、ポジティブな未来が浮かんできます。
運営は何とか工夫するとして
はやりここにしよう!と移転を決めたのでした。
今回の建物は、もともとチベット仏教のゴンパとして
建設し始めた建物だったそうで
躯体工事が終わった段階で、放置されている状態でした。
急ピッチで工事を進め、住居仕様に変更し
このタイミングでの入居となったのでした。
とはいえ、まだまだ工事をしながらの部分も多いです。
夏ごろを目処に
チベット予防医学室も、こちらの建物に移転予定です。
随分と広くなりましたので
薬湯施設などを新しく設け、
充実した診療が可能になります。
一挙に器がバージョンアップしたTCPですが
中身もますます充実した運営に
してゆきたいと考えています。
2009年6月の突然の退去勧告引き続き
今回も安心して移転について交渉できましたのは
皆様から頂いた、サポート資金があったからです。
この資金なくしては、
安い値段で借りる代わりに、不利な条件を飲むような
そんな物件に決めざるを得なかったことと思います。
皆さんのご支援が、本当にありがたかった事件でした。
最後に
賃貸契約に関して最後まで、どのように条件が変わるか
予測の出来ないネパールですので
今回の引越しが無事に完了するまで、
皆様にご報告せずにおりましたことを、お詫びいたします。
これからも、様々な予測不可能なことが起こるとは思いますが
そのたびに、着実に足元を固め、進んで行きたいと思います。
いつもご支援を頂きまして、
ありがとうございます。
昨日無事に、新しい建物に引越しを完了したクンデ・ハウス。
とはいえ、実はまだ、一部内装工事は続いていて
ちょっとドタバタな感じです。
まずは引越しの準備段階として
2日に渡って、代表によるプジャを行いました。

悪しきものの影響を避け、
この土地に関わる様々なものが、平穏でありますように。
ここで生活を営むものが
充実した栄えある時間を生きられますように…。
そして、旧クンデ・ハウスから、
トラックでお引越し。

引っ越し当日は
5人の若いチベット人が、助っ人に来てくれました。
他にアムチの下宿先の住人夫婦も手伝ってくださって
合計トラックで4回、
家具や電気製品など大型の荷物を運びました。
細かいものは既に、子どもたちが手分けして
2週間ほど前から、毎日少しずつ運んでくれていました。
クンデ・ハウスの子ども達も
競争するように自主的に荷物を運んでくれて
本当に大活躍でした。
その様子は、こちら。

引越し先の建物と、大きな庭の様子。

本当にみなさん、よく手伝ってくだって
スムーズに移動できました。
ところで、
今回の移転先がどこだか
お分かりになるでしょうか?
サポーター会員の皆様には、
既に昨日のメールでお伝えをしておりますが…
正解は…
アムチの下宿先!そう、旧クンデ・ハウスから程近い
アムチの下宿先であり
TCPが庭を借りて、せっせと畑を作っているあの敷地です。
ここに、建設途中で放置されていた建物があり
今回、その建物を借りられたのでした。
今回の急な立ち退きと、
この建物が借りられるようになった経緯は
明日のブログでお知らせいたします。
本日、ネパール現地より報告があり
ついに、ブログの更新が滞った理由が解禁となりました…
って、もう表題でバレてますよね?
クンデ・ハウスは本日より
新しい場所ににて、運営をいたします!
そしてさらに、
現在はまだ工事中ですが、夏ごろを目処に
チベット予防医学室と施設を一体化いたします!
既にサポーター会員の皆様には、
メールと運営報告書にて、昨年末に
突然、クンデ・ハウスの立ち退きを命じられたことを
ご報告していましたが
移転に関する詳しい経緯や
新しい施設の場所などの詳細は
明日のブログでご報告いたします。
取り急ぎ、今回の物件の外観をご覧下さい。

大きくて立派な建物です。
本日も石川による、ブログジャックの第2弾です。
突然ですが
コーヒーはお好きですか?
私は、大好きです。
朝の目覚めに1杯、午後に1杯。
少なくとも、1日2杯は飲んでいました。

個人的には、酸味の少ないインドネシア産の豆を
深炒りしたものが好きです。
陰性の飲みものであるコーヒーは
体を冷やすということも、豆知識としては知っていたので
冷え性だという自覚がある私は、
飲み過ぎないように、一応注意はしてきたつもりです。
ところが昨年の夏
我が家に泊まって、数日生活を共にしたアムチに
コーヒーの摂取に関して、厳しく注意を受けました。
アムチいわく
「お前のような体質は、絶対にコーヒーは良くない。
これ以上、体を冷やしてどうする?
アイスコーヒーなんて、論外!!!」
…なのだそう(涙)。
でも、去年の夏はことのほか暑くて
ついつい出先で、アイスコーヒーなど
誘惑に負けて頼んでしまって
その度に、アムチの厳しい視線を受けたのでした。
ここで、往生際の悪い石川は
次の策に出ました。
そういえは、オーガニックの黒豆コーヒーって
確か体を冷やさないって話だったよね?
だったら、黒豆コーヒーだったらいいんじゃない??
早速、調達してみました。
お味のほうは…
やっぱりコーヒーのような深みや香りが無く
代替品である感じがぬぐい切れないのですが
それでも、体が冷えないのならいいか…と思っていました。
ところが!
アムチに言わせると、
黒豆コーヒーも、体には良くないのですって!
チベット医学的には、
何にしろ「焦がしたもの」は体に良くないのだそうです。
そうですか…(涙)。
あまりにも体を冷やすことに関して
アムチが厳しく注意するので
やっと意を決し、コーヒーを止める事にしました。
ただし、1週間に2杯のご褒美コーヒーを除いては…。
だって、だって、あんまり我慢してストレス溜めるのも良くないデスヨネ?そんなわけで、秋以降
基本的にコーヒーを常飲しない生活を開始。
すると、どうでしょう
あれほど酷かった冷えが、かなり軽減されました。
毎年秋以降は、布団の足元に電気毛布を使わないと
足が冷えすぎて眠れなかったのに
この冬は、全く使わずにやり過ごすことが出来ました。
これぐらい顕著に成果が現れると
止めた甲斐もあります。
もしコーヒー好きで、冷えの自覚のある方は
少し量を減らして、体の変化を見てみられてはいかがでしょう?
冷えが軽減されると、体の動きもよくて
なかなかいい感じですよ。
お勧めします。
現在、TCPのネパール現地は、
取り込み中。すみません…こんな思わせぶりな前振りで。
その内容と全貌は、もうしばらくすると
ブログでも、お伝え出来ると思います。
どうか、しばらくお待ちください。
それまで、ブログネタが
ネパールから送られて来ないと予想されますので
その間、石川が小ネタでつないでおきたいと思います。
よろしくお付き合いください。
先週末の金曜の夜から、
TCPのサポーターさんのお誘いを受けて
2泊3日で、少し遠出をしました。
出掛けた先は、岩手県陸前高田市。
そう、今回の震災後の津波で
甚大な被害を受けた、あの陸前高田です。
市内最大の避難所、
第一中学校に集まった支援物資を
分別、整理、記録する棚卸し作業に
ボランティアとして参加させて頂きました。
今回、参加させていただいたのは、
こちらの企画です→
Save Takata金曜の夜、サポーターさんと
そのお仲間で、総勢6名のチームを組んで
車2台に分乗し、一路岩手を目指しました。
石川は、サポーターさん以外の方々とは初対面でしたが
いろいろな共通点があったりして、
行きの車中から、意気投合。
結局、仮眠も出来ぬまま、土曜の朝
作業現場である、避難所に到着。
高田第一中学校は
震災直後には、1,300人が避難され
現在も、450人がこちらで避難生活を送られています。
この中学校は、海岸線から2kmあまり離れた高い丘の上にあり
ここだけは、津波の被害を受けなかった場所です。
2日にわたって、こちらのダンボールを棚卸ししました。

食料、日用品、衣類など
多分、3,000個以上のダンボールがあったと思うのですが
このうち、全国から送られてきた550個のダンボールの
衣類を整理するのが、今回のミッションです。
Save Takataのスタッフの方々と
関東地区から参加したボランティアの計19名で
棚卸しをしました。
腕が筋肉痛になりながら(とほほ)
仕分けをしました。
時々、被災者の方が、希望の衣類を探しにみえました。
ちょっと派手目の衣類を勧めてみたりして
ひと時、楽しい会話を交わしているときだけが
眼下に広がる、果てしない瓦礫の世界を
忘れさせてくれました。
80歳を超えていると思われるおばあちゃまと、親しくなりました。
おばあちゃまは、黒い津波がすぐそこに見えて
必死で裸足で逃げたのだそうです。
高田病院に逃げたけれど、3階まで逃げてもまだ波が上がってきて
屋上に上がって、一夜を過ごしたそうです。
おばあちゃまは、どんなに自分の逃げ足が早かったか
ユーモアを交えて話し、私達を笑わせてくれました。
家族全員が助かったけれど
それ以外の全てを、津波に流されてしまいました。
楽しい孫との生活を失い
毎日、体育館でストレスの多い生活を強いられて
それでも、こんな風にボランティアの私達を笑わせたり
労をねぎらって下さる心遣いに
人間の強さと底力を見た思いがしました。
一方、棚卸しの作業はやってもやっても終わらずに
果てしないその仕事量に、時々、無力感を感じました。
もっともっと体力も知力も財力もあって
いろんなことを一気に片付けたり、復興できる能力が
今、自分にあったらいいのに! と。
でも、こうやって一つ一つを
微力ながらも積み重ねてゆくことしか
方法なんて無いのだと思いました。
自分はたまたま、いろんな条件が整って
直接ボランティアとして働く機会が与えられたけれど
参加できる期間は、限られたとても短い時間でしかありません。
被災地から戻れば、今、目の前にしている
惨状とかけ離れた生活を、明日からは送るのです。
仕事や家庭や生活があって、被災地を直接支援できない時間も
自分の持ち場でしっかりと力を尽くすことが
日本経済を支え、ひいてはそれが復興につながるのだ!と思って
短いボランティア活動を終え、帰路につきました。
まだまだ被災地は、単独で行って
有意義な活動が出来る状況ではないと思えたので
今後も、現地から募集があれば
参加したいと思いました。
このような貴重な機会を与えて下さった
サポーターさんに感謝です。
TCPを通して知り合ったサポーターさんとは
たまたま自宅が近かったため
ネパールへの支援物資などを、
直接石川の家に運んでいただいたりして
親しくお付き合いさせて頂いており
今回、ボランティアにお誘い頂きました。
ボランティア参加のタイミングの判断と
手段の準備が、一人では難しかったので
既に被災地に行かれた経験のある
サポーターさんにお誘いいただいて
本当に有難かったです。
人のご縁とは、本当に不思議なものだといつも思います。
その広がりから、たくさんの経験をさせていただき
感謝です。
ネパールには、スーパーや本屋さんなどに
神様の塗り絵bookが売られています。
お国柄、ヒンドゥー教のいろいろな神様が
線画だけで描かれていて、それを塗り絵するのです。
が、何とヒンドゥ教だけでなく、仏教版もありました。
そこで最近は、子ども達に
仏教の尊格の塗り絵をさせています。

最初の塗り絵は、まずは仏陀。
塗る前には必ず、それぞれの尊格にまつわるお話を
子ども達に聞かせてから始めます。
出来上がった塗り絵は、こんな感じです。

背景も、一生懸命着色したクンサン。

実写的な色使いのヌモ。

続いて、グルリンポチェ、イシツォギャルなどの
塗り絵をしています。

子ども達、はまっています♪
子ども達は、朝5時半に起床して
1階のダイニングで、お経をあげるのが日課です。

実は、この読経の前には、静かな戦い?が
繰り広げられているんです。
その「静かな戦い」とは…
お経をみんなで唱える時、
子どものうちの1名が、細長い棒を手に
机の角を叩きながら、リズムを取ります。
いわば、お経を先導する感じの役なワケなのですが
この役が、みんなやりたくて仕方が無いのです。
その棒は、常々は台所においてあります。
どうしても、リズム係をやりたくて仕方が無いジグメは
何とそのために、早起きをして
最近では5時には目を覚まして
アパーが起きて、台所のある1階の鍵を
開けてくれるのを待っています。
そして台所で、棒をGET!!
そして、今日もリズム係の図。

加藤も付き合って5時に起床しますが
正直…ねむいです(涙)。
最近では、ずいぶん慣れて来ましたが^^
子ども達のお経好きは、相当なものです。
これ以上、エスカレートして
どんどん早起きになり過ぎないようにして欲しいです…。
東日本大震災の支援を目的としたチャリティーイベントが
日本人補習校の父兄の皆さんなどが中心となり
カトマンドゥで開催されました。
コンサートには、有名なアニ・チュインや地元のバンド
ネパールのアメリカンスクールやブリティッシュスクールなどの人たちが
歌や踊りを披露してくれました。

アニ・チュインは最初に観音菩薩のマントラを唱え、
その後に、素晴らしい歌の数々を披露してくれました。
途中、アニが涙で声が詰まってしまう場面もあり…
心のこもった、平安を祈る美しい歌でした。
ジグメが通う、日本人補習校もおそろいのTシャツを着て
ステージに立ち、「翼をください」を歌いました。
何と、その様子は、地元の新聞に取り上げられました。

会場では、補習校のお母さんたちが作った
手作りお菓子を販売するブースがあり
TCPもカプセを3kg寄付させていただいて、
一緒に販売しました。

カプセは完売でした!
被災者の方々に向けたメッセージを
一生懸命書いている子ども達。

募金のコーナーでは、
日本人補習校の生徒の皆さんに混じって
クンデ・ハウスの子ども達も
「ぼきんおねがいしま~す!」と
呼びかけに協力させていただきました。

ちょうど現地をご訪問くださっているTCPサポーターさんも
一緒にコンサートに参加してくださいました。
何気に、チェリティーTシャツを着ているアムチ^^

加藤は見てしまいました!
アムチが驚くような大金を、募金箱に入れている姿を!!

ありがとう!アムチ。
経済格差のあるネパールからでは
大きな手助けにはならないかもしれませんが
それでも、ここネパールでも
民族や宗教を問わず、たくさんの人たちが
被災した日本を応援してくださっています。
本当に、ありがたい1日でした。