ニューヨークから、いつもご支援を頂いている
「ゆるLOHA」代表の桜本さん。
先月末のブログでも、ご紹介しましたが、
絵本と寄付金を、今年もお寄せくださいました。
頂いた絵本がこちら↓
2012年9月27日ブログ
「絵本のご寄付」寄付金の使途は
「子ども達の教育のために」とご希望でしたので
ご相談のうえ、文具を購入させていただきました。
ありがとうございます♪桜本さんのご了承を得て
2万円の金額で、どの程度のものが
ネパールでは購入できるのか目安となるように、
購入品の詳細を、掲載させていただきます。
・ノート<厚め>40Rs× 200冊 8,000Rs
・コピー用紙 380Rs × 10束 3,800Rs
・インクジェット<コピー用> 4,800Rs
・英語筆記ドリル145Rs×14冊 2,030Rs
・筆箱 360Rs×14個 5,040Rs
合計 23,670Rs (現在のレートでほぼ2万円です)
学校では、問題を書き写して練習するので
ノートの消費がとても激しく
厚めのノートを購入できて、嬉しいです。
新しい文具に、ウキウキの子ども達です。
ありがとうございました。
さあ!
庭に出て、今日の収穫です。

身軽なペマが、スルスルと木に登って収穫しているのは

グアヴァ。
この時期、庭のグアヴァの木には
たくさんの実がなります。

上品な甘さと、歯ごたえのあるグアヴァは
子ども達も大好きです。
たくさんの食べ物を与えてくれる畑と
子ども達を育んでくれる土地に
今日も感謝です。
先月、クンデ・ハウスではとても大きな出来事がありました。
サポーターの皆様には、直後にご報告をしておりますが
ブログ読者の方々には
まだお知らせをしておりませんでしたので
ちょうど一ヶ月が過ぎた今日、ここにその出来事を
ご報告させていただきたいと思います。
2010年4月に、3歳10ヶ月で
クンデ・ハウスに入居したプルパ・サンモは、
様々なやり取りの末に、
9月6日、実母が引き取ることになりました。

入居した頃のプルパ・サンモ。
入居から引取りまでの経緯は下記の通りです。
プルパ・サンモの母親は、旦那さんが失踪して生活に困窮し、
子どもを置いて、実家に帰りたいとTCPを訪ねてきました。
もともとプルパ・サンモは、
ネパールで生まれた難民2世です。
TCPは本土から来た難民の支援をする組織として、
ネパールやインドで生まれた
難民2世の受け入れはお断りしています。
しかし、数回の面談で分かった事は、
母親自体が未熟で、
子どもさえいなかったら…と考えている事
母親が育児放棄をしてること、
生活環境と栄養状態が極端に悪いことなどを
総合的に審査して、現段階での保護がなければ
子ども自体が危険と判断し
特別に入居することになりました。
しかしこのような場合、
子どもが労働年齢に達した途端、
子どもの返還を求められるケースも多いため、
「18歳に達するまで、親権を主張しないこと。
18歳まで、クンデ・ハウスで養育することに同意すること。
18歳になるまで子どもの返還を要求しないこと」
などを何度も確認し、
最後はTCPが誓約書を製作し、
母親のサインを得て、入居となりました。
しかしながら、昨年、
母親の生活環境が大きく変化すると同時に、
子どもの返還を求めてくるようになりました。
母親はとある方の妾となり、
経済的に余裕が出来たようでした。
しかしながら、新しく現れた男性との関係も不安定で、
長期的な展望もなく、
とてもプルパ・サンモの養育を
責任を持って行なうとは思えない状況でしたので、
引渡しを断りました。
その後も何度もTCPを尋ねては泣き崩れるばかりで、
プルパ・サンモの将来や今後の生活について
なんら信頼にたる約束を、
私たちに対して示せない状況でした。
残念なことに母親は教育を受ける機会がなかったようで、
それゆえに人格を形成するチャンスも少なく、
自分の感情をありのままに発散し、
他人の話を聞く余裕のない方でした。
TCPの代表である僧侶にお説教をして頂いたり、
プルパ・サンモの母親のゆかりの僧侶にお越しいただいて
説得をしていただいたこともありました。
チベット人にとって僧侶は尊敬の対象であり、
大抵の場合、お坊さんのおっしゃることは
絶対的な力を持っていますが、
母親にはまったく、人の道理や善悪の話が通じませんでした。
長らく、母親が泣き崩れるばかりで
話し合いが成立しないという状況が続いており、
この状況では何も前進しないと判断したスタッフが、
子育てとはどれだけ大変かを母親に体験させる意味合いで
3日間だけプルパ・サンモを母親の元に戻しました。
プルパ・サンモは
「クンデ・ハウスに帰りたい。ママ(スタッフ加藤のこと)に会いたい」と
3日間泣き続け、
ご近所の方々が、ご機嫌を取るために
たくさん素敵なお菓子を与えても
「クンデ・ハウスに持って帰って、みんなで分けて食べる」と
硬くなに食べる事を拒んでいたそうです。
残念なことに、このプルパ・サンモの態度が、母親に
「子どもが自分に懐かないのは、TCPのせいだ」という
まったくお門違いな思考を生み出させ、
そこからTCPへの攻撃が始まりました。
母親に「子どもを無理やり剥ぎ取られた」と
嘘を吹き込まれた十数人のチベット人が
TCPに乗り込み、数時間にわたって
「子どもを返せ」「人さらい」などと罵倒するということが、
何度も起こりました。
そして9月6日には、
子ども達の通う亡命政府の学校に、無許可で十数名が乱入し、
プルパ・サンモを、力ずくで奪還しようとする事件が起きました。
校長から連絡を受けたスタッフが学校に向かい、
その場で乱入したチベット人達は排除されました。
しかしその人々に、スタッフが校門前で取り囲まれ、
数十分にわたって激しく罵声を受けました。
「警察を呼ぶ!」と相手が言い出したので、
これ幸いと警察に連絡するように言いました。
TCPのクンデ・ハウスは
政府の認可を得て運営している児童養育施設であり、
その名簿にはプルパ・サンモの名前も登録されており、
警察を呼べば私たちの立場が立証されるからです。
感情的に騒ぎ立てていたチベット人たちも、
この冷静な態度にさすがに立場が悪くなると気づいた様子で、
結局警察の出動にはなりませんでした。
その後、学校に乱入した人々はTCPに乗り込み、
また口汚くののしり、騒ぎ立てました。
このような騒ぎは、9月に入って連日のように起こっており
あまりに何度も騒ぎを起こしては、
今後の運営にも関わると判断したアムチが
最終的に、プルパ・サンモを母親に返すことを決定しました。
これまでの2年数ヶ月という
TCPでの楽しく文化的で安定した生活の時間よりも、
実母であるということが最大の決め手になって、
引き渡さざるを得なかったことが、
スタッフとしても大変辛いです。
TCPを出れば保護者が変わるので、
学校が退学扱いになること。
今後はきちんと入学手続きをして授業料を支払い、
学用品を準備して、母親の責任で通わせることなど、
いくつか最低限の生活環境を保障する約束を交わし、
泣く泣く母親に引き渡すことになりました。
プルパ・サンモはクンデ・ハウスを離れたくないと
泣きじゃくっていました。
子どもたちも大泣きをしました。
スタッフは感情を押し殺し、仕方なく
「お母さんはあなたがいないと生きられないと言っているから、
今後はお母さんを助けていくように」と最後のお説教をし、
プルパ・サンモは母親に連れられてクンデ・ハウスを退去しました。
退去した翌日、子どもたちを学校に送ってゆくと、
母親がプルパ・サンモを学校に連れてきていました。
母親は当然これまでと同じく
学校に通えるものという態度でした。
あれほど説明した一切を、
まったく理解していませんでした。
未だ、面倒なことは何でもTCPが
やってくれると思っている様子でした。
この事実に、スタッフは暗澹たる気持ちになりました。
このことから考えるに、今後、
プルパ・サンモの養育が母親の手に余って
TCPに返しに来る可能性があるのではないかと考えて
しばらく様子を見たいと考えました。
しかし、母親からのコンタクトはありませんでした。
プルパ・サンモの退去直後は、
スタッフも気持ちの整理がつかず
何とか帰ってきはしないかとの希望を
捨て切れませんでしたが
過去に執着をせず、現実を受け入れて気持ちを切り替え
プルパ・サンモと母親が、
不自由なく平穏な生活が出来るようにと
今後は祈りたいと思っています。
このような事態になりましたこと、
また、何よりもプルパ・サンモが
クンデ・ハウスに残りたいという意思だったのに、
それを実現できなかったことを、
これまでご支援くださったサポーターの皆様に、
深くお詫び申し上げます。
このようにご報告をすると
まるで母親が、ワガママな方のように映ってしまうかもしれません。
確かに、ワガママな行動を起こす人ではあると思います。
ただその原因は、長くチベットの置かれた不遇な状況の犠牲となって
教育を受ける機会さえ与えられないことから来る
広い意味での無知が、一番の問題なのだと考えます。
このような出来事に触れ、
改めて教育の大切さを再認識しています。
ことに、その後の人生の価値観を決定付けてしまう
初等教育は、本当に大事です。
今回のことを深く心に刻み
無知の連鎖を断ち切るため
よりいっそう、子ども達の教育には
今後、力を入れてゆきたいと思っています。
前歯が抜け、成長したな…と思っていた8月末の写真。

プルパ・サンモと母親、それに関わる人々が
平穏で幸せな生活が出来るようにと
願わずにはいられません。
緊張の瞬間です!!
子ども達が一人づつ
アムチの前で、暗誦試験を受けています。
ダワが唱えているのは、「般若心経」。

こういう時、アムチはワザと目をつぶって
渋い顔をするんです…。
そうして、子ども達の緊張感を高めます。
試験の様子に見入るチュゾム。
こっそり、そして真剣に練習している
優等生のイシとクンサン。
目線をカメラに送って、余裕の笑顔のチュイン。
チュインの手前の青い洋服を着た小さな姿は、ツェテンです。
こんなに小さくても、
クンデ・ハウスでは
お経の暗誦は必須です。

将来はお坊さんになると決めているチミ。
頑張って!!
子ども達は、日々ネパールで
般若心経の暗誦に励んでいます。
先日、とってもユニークな方が
クンデ・ハウスを訪問して下さいました。
イギリス人の…こちらの方です。

この派手な衣装は…
そう、
道化師さんなのです!!
「ひゃ~ぁ、お空に風船が飛んでいってしまったよ!!」

子ども達を惹きつけて、
とっても上手に楽しませて下さいます。
そして驚いた事に、この方、
実は日本語がペラペラです。
以前、沖縄に3年間住んでいらっしゃったのだそうです。

そしてさらに驚いた事に
ここネパールで、チベット仏教の行者を
4年間もされているのです!!!
そのため、チベット語もペラペラです!
でも、それでいて道化師でもあるなんて
本当に多彩ですね。

子ども達、充分に楽しませていただきました。
ご訪問、ありがとうございます!
パソコンの調子が芳しくなく
数日、ブログがUP出来ず
すみませんでした。
今日は東京事務所からのお知らせです。
先日、JR五反田駅から徒歩5分ほどの距離にある
薬師寺東京別院にお邪魔しました。
そうです、あの奈良にある有名寺
薬師寺の東京出張所(?)のような場所です。

目的は「写経」。
近くにお住まいのサポーターさんとご一緒に
前々から興味のあった写経をしてきました。
大きくてゆったりとした玄関に足を踏み入れると
既に、静謐な空気で満ち溢れています。
まずは写経をしたい旨を申し出て
用紙に必要事項を記入。
こちらでは写経を、4つの中から選ぶことが出来ました。
・般若心経(約270文字)
・薬師経 (約800文字)
・唯識三十頌(約650文字)
・東塔解体大修理特別写経(舎利例文一組2巻)
何ぶん初めてなため、一番文字数が少なく
馴染みのある「般若心経」を選びました。
ここで「納経料」を納めます。
書き終わったお写経は、
奈良の薬師寺の金堂、西塔などの上層にある
内陣にお祀りされ
毎早朝1時間の読経を僧侶の方々がしてくださり
永代供養されるのだそうです。
別院で頂いたパンフレットの中には
その納経される内陣の写真が掲載されているのですが
長い通路を挟んで両側に、はるか高くまで
全国から集まったお写経が綺麗に収められている様子は
壮観でした。
ここに納められたお写経の一つ一つに
それぞれの方の思いが込められているのだと思うと
その集積としてみるこの風景は
本当にパワーに満ち溢れたものでした。
般若心経の納経料は2,000円なのですが
個人的には、これでこの先何千年も(?)
ともかく薬師寺の灯の続く限り
毎日お経を上げて永代供養してくださるのは
とっても安いな…と思いました。
申し込みの手続きが終了すると
小さなお庭に面した
明るい席に案内されます。
そしてここで、お干菓子とお抹茶を頂きます。

葛でできたお干菓子の甘さが上品で
とても美味しかったです。
お茶の後、いよいよ写経の部屋へ。
入室にも様々なお作法があり
まずはその所作と意味の説明を受けます。
お部屋の奥には薬師如来様が祀られており、ご挨拶をします。
その後、それぞれの経机へ。

墨、筆など、必要な一式は
既に準備をされているので
全く手ぶらで伺えるところが嬉しいです。
驚いた事に、若い方がお友達同士で
何組も写経に励んでおられました。
途中、別室で写経をされている学生さんの団体が
納経に見えました。
写経なんて、かなり地味なイメージですが
こうして若い方々が進んで写経をなさる時代なんですね。

完成したお写経。
墨を擦る事から始まって、約2時間弱。
集中した後の清々しさを体いっぱいに感じながら
納経をして、終了です。
来る11月3日(文化の日)
TCPでは「写経会」を開催します。
ダライ・ラマ法王の横浜での法話の前日に
心を整えて、写経をしたいと思います。
サポーターの皆さんには
ご案内メールをお送りしておりますが
サポーターさん以外でもご参加希望の方は
TCPまでご連絡下さい。
写経の後は、懇親会を予定しております。