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地震と復興


6月も今日が最終日。
1年の半分が過ぎました。

4月25日に起きたネパール大地震
あの日からも、既に2ヵ月が過ぎました。

残念なことに日本では
取り上げられる事の少なくなった話題ですが
未だに12万人が、屋外で避難生活を送っている状況です。

6月25日には、復興について話し合う国際会議が
首都カトマンズで開催されて、53ヶ国が参加しました。
日本からも城内外務副大臣が参加
住宅やインフラの再建を中心に、320億円の支援を表明しました。

お隣のインドからは、5年間で2,500億円
同じく隣接する中国からは、600億円の
復興費用の支援が表明されました。

ネパール政府は、復興に必要な予算は8000億円と試算しており
あまりに大きな数字なので、
この額が、どんなものなのか見当もつきませんが
これはネパールのGDP(国民総生産)の1/3にあたるのだそうで
やっぱり各国の絶大な支援なしには、
ネパールの復興は難しいのだと思います。

クンデ・ハウスは、震災に対する備えが
疎かだったことを深く反省し
地震直後に、防災用品を準備しました。
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もしも大きな災害が来ても、
国内、あるいは国際的な救助が来るまでの数日を
乗り切れるようにと、考えています。
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現在、余震は3日に1度ぐらいの頻度です。
それも、気づくか気づかない程度の揺れです。
それでもやはり、今後も安心は出来ないので
今回の地震を教訓に、防災、減災に対して
考え、取り組んで行きたいと思います。
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掃除


クンデ・ハウスは、朝食の後
それぞれが担当の仕事をこなします。

掃除、洗濯、食器洗いを割り振って
担当は、2週間ごとに変わります。

お掃除チームの様子がこちら。
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特に床の雑巾がけは
何故かみんな、とてもまじめにやります。

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リビングをほうきで掃いています。
ちゃんと最初に、出ているものを片付けてから
一斉にほうき掛けするあたり、
手順を心得ています。

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2階の共用部の掃除担当のタチェン。

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ちゃんとスリッパを動かして
念入りに掃除しています。

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ダワは、トイレの清掃用の水を運んでくれています。

子ども達の掃除は、
やはり日本的な掃除の手順に
則っているように思います。

番犬イチ


クンデ・ハウスの番犬のイチ。
設立の当初から、一緒に
子ども達の成長を見守ってくれています。
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昨年は体調を崩して、とても心配しましたが
今では持ち直して、元気にしています。

でもやっぱり齢を重ねたので
子ども達にまみれて大いにはしゃぐようなことは
すっかりなくなりました。
落ち着いて分別のある賢い老犬になりました。
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その昔は、あまりに立派な犬なので
盗まれたこともありました。
2010年6月18日ブログ「盗まれたものは…」

この事件から、5年が経つのですね。
やはり写真を見て頂けるとお分かりになると思うのですが
このころのイチ、若いです(笑)!

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子ども達をのんびりと見守りながら
今日もイチの時間が過ぎてゆきます。

初プール


先週は、嫌になるぐらいの暑さだったカトマンズ。

こんな時は、そう、これ!
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プールです!!

水の色が、若干濁っていますが
(「若干じゃないよね」という突っ込みが聞こえそうですが…)
子ども達、今年初のプールに大はしゃぎ。

元はと言えば、プールを始めた理由は
決してリクリエーションではなくて
標高の高いチベット高原(約4,000m)から
海抜約1,300mのカトマンズに降りてきて
高山病の逆の症状(私たちは低地病と言っています)になった子ども達
身体の熱がうまく抜けずに、肌が吹き出物だらけになりました。

その熱を抜く方法の一つとして
「贅沢だけど…ビニールプール買っちゃう?」と準備したのが
毎年恒例になった、このプールなのです。

今ではカトマンズの標高に慣れてきました。
パサンとデチェンは、今も時々、吹き出物が出てしまいますが
以前よりは、順応してきました。

生まれ育った環境が変わることは
やはり体にとってはストレスなのですね。

泳ぐというより浸かっている(笑)子ども達ですが
特に小さい子たちははしゃいで、楽しそうでした。

自習


長い春休みが開けて、学校に通い出した途端
4月25日に地震が発生し、
その後、実に1ヶ月以上もの間
またまた学校はお休みになりました。

外にも出られないし、剣道や体操のお稽古も無くなってしまって
このままでは生活がたるんでしまうと、エリ先生が
個別にスキルに合わせて準備して下さった教材で
毎日、午前中は自習をしていました。
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本日の課題を受け取る、デチェンとイシ。

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こちらはチュインとチミ。

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小さい子から順番に、課題を受け取ります。

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この日は算数の問題。

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こちらは勉強が得意な、イシとカンド。
スラスラ問題が解けている様です。

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チミは、マイペースでじっくりと。

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ペンバも小さいけれど、集中力があります。

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計算はあまり得意じゃないダワ。
補助的に、指を使って計算中。

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こちらは床で問題を解く、ツェテンとペマ。

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床に伏せたままで、しんどくならないの?と思うのですが
長い時間このままでも、全然平気な様子です。

毎日こうして、午前中は
学年別の問題で、自習を行ったのでした。

自撮り


チミが、自撮り。
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子ども達は時々、スタッフのスマホを触らせてもらう事があり
そんな極短時間の間にも、あれやこれやといじってみて
勝手に操作を覚えて行きます。

こういうセンスって、どこから芽生えてくるのでしょう?

随分大人になってから、スマホが出現した世代には
教えてもらっても、なかなか覚えきれない操作もあり
子ども達との差に、愕然とします。

トゥクパ


「いただきま~す」

クンデ・ハウスでは、食事の前にお経を唱え
感謝をしてから頂きます。
お経の後、日本語で「いただきま~す」と
全員で唱和します。
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アチャ・イシの作るトゥクパは、本当に美味しくて
子ども達の人気メニュー。
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みんなで、おかわり。

寒い冬はもちろんですが、
こうして暑い季節になっても
やっぱりトゥクパは、美味しいのです。
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女の子達も、わいわい言いながらおかわりしています。
【“トゥクパ”の続きを読む】

うむむ…。


ヌモが、眉間にシワを寄せて
何やら難しい顔をしています。

日本語の折り紙の本を見ながら
折り紙を折っているのですが、
どうにもその折り方が、分からない様なのです。
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決して解説の日本語の意味が
分からないわけではなくて
「この解説通りに折るのだけど、結果がこうならない…」と
難しい顔をしているのでした。

チミもチュズムも既にチャレンジしたけれど
あまりにも難解すぎて、ギブアップ。
最後の望みを、ヌモに託して
お気楽な笑顔の2人です。

色々と手伝ってみましたが、確かに本の通りにならないね…。
あまりにも解説が端折られていて、
折り紙の図解も、どんどん進んでいくので
いつどうやってそうなるのか、日本人でも分かりません。
うむむ…。

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こちらも難しい顔のデチェン。

でもデチェンはこの後、折り紙が得意なチミに
折り方を教えてもらっていました。

得意技


クンデ・ハウスの子ども達には
それぞれ、得意なものがあります。

カンドは、一輪車。
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カメラ目線でも、スイスイ上手に乗りこなします。
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こちらは、けん玉が得意なダワ。
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写真を撮り損ねたのですが
この後、一番難しいけん先に
玉を刺していました。
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こちらも、一輪車に乗るのが得意なチュズム。
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チュズムは、走りながらカメラ目線が難しい様で
静止でポーズを取ってくれました。
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学校もフルタイムで再開されて
生活も少しづつ落ち着いて来ました。

パパイヤ大好き!


暑い季節がやってくると
パパイヤが美味しくなります。

大きなパパイヤを目の前に
嬉しそうな3人。
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この笑顔、
どれだけフルーツが好きか、
分かって頂けると思います。

これからカンドが、ピーラーを使って剥いてくれます。

建物の被災度調査 3日目


滞在3日目。
今日も6時に起床し、子ども達と朝ごはん。
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イチとリュウも、朝ごはん。
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子ども達がお待ちかねの里親さんからの手紙と、
アトリエFunのお友達からのお手紙、
その他サポーターさんからお預かりしたお手紙を、子ども達に。
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特に里親さんからのお手紙は嬉しいもの。
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大はしゃぎ。

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タチェンは一生懸命、里親さんのお手紙を読んでいる。



今日の建物診断は、歩いて物件まで行ける範囲にある。
この日も午前中、特定のエリアの建物を何軒もチェックさせてもらうが、
非常に悩ましい問題が…。

診断の依頼を受けた建物自体は、建築的に無傷で問題がないのに
そのお隣の建物が、被災して傾いている事例が多い。

許可を得て、お隣の建物にも入らせて頂く。
残念ながら、1階の被災度が高い状態。
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こんな風に「X」形に壁にひびが入っている建物は、危険。
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家自体が、傾いてきている。
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写真では分かりにくいが、
右の家が無傷で、左の家が損傷し傾いて来ている。

夜だけは外のテントで寝ているそうだが、
昼間は今もこの建物の中で生活していると言う。

今後の余震を考えると、すみやかに他の建物に移って欲しいが、
経済的な問題や家族の事情で、
そんなにすぐには転居できない方も多いわけで
そうすると危ないと分かっていながらも留まってしまう現実。
技術者として判断した結果よりも、
現実的な日々の生活を優先させることに、
口をはさむ事は出来ない。
危険を取り除く根本的な解決法を示す事など不可能なのだが、
それでも傾き始めた家を前に、
何もできない事にはどうしても無力感を感じる。
せめて地震や余震が来ないでくれればと思うが、
そんなことは学術的には期待できない事も知っている。
やるせなさが募る。

このエリアは地盤があまり良くないようで、傾いて隣家に接触している例が
数多く見受けられた。

こちらの家は既に、ビー玉がスピードを上げて転がるほどの傾き。
きっと地震の前から少し傾いていたのだと推測するが、
地震後は以前にも増して、傾きがひどくなった様子。
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こちらの家も、傾いて接触している。
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こちらの家も、3階の屋根が
隣家に接触しそうなほど傾いている。
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建物自体に問題がなくても、一度傾き始めた家は、
家自体の重さと地盤の悪さで、例え地震が来なくても、
今後さらに傾きがひどくなる可能性がある。
今後の注意点に関して、色々とお話をさせて頂く。

根本的な対策が打てないだけに、残念で仕方がないものばかり。

建物をチェックしていると、ご近所の方々からもお声掛かり
時間の許す限り、個人の住宅を回らせて頂いた。


昼過ぎに移動し、ダラハラとダルバール広場へ。
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レンガ積みの塔のダラハラは、
個人的に建築的な観点からは絶対に上りたくない建物だったが、
観光スポットとして人気があり、いつもネパール人で込み合っていた。

崩壊したレンガは既に片付けられていたが、
誰もがこの場所では、押し黙ったまま。
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もしまた復興されるという事であれば、是非、
日本かどこか技術を提供してくれる国が
サポートしてくれることを切に願う。

歴史的な建物群が、
独特の雰囲気を作り出しているダルバール広場は、
報道された写真だけを見ると壊滅したかのように思えたが、
大型の建物等は被災しながらも残っている。
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シヴァ・パールヴァティー寺院は、
シヴァのご加護で難を逃れたなどと言われているが、
実際は原型をかろうじて保っている状態で、
被災度は非常に高い。
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次の大きな余震が来る前に、
一刻も早く倒壊しないだけの補強をして欲しい。
個人的にはユネスコが資金を調達して、
何とかしてくれないものなのだろうか?などと思う。

大型のブルトーザーでガレキをよける。
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実際はガレキと言うには忍びない、歴史的な建物の一部。

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無造作にブルトーザーを動かしているため
シヴァ・パールヴァティー寺院を
傷つけたりしないかと、ドキドキしながら見守った。

ダルバール広場から、アサンチョークヘ。
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ダルバール広場から北に抜ける小道は、かなり被災度が高い。
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随所に倒壊した、あるいは倒壊しかけた建物が見受けられる。
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「今、地震が来たらどう身を守るか?」
常にそんなことを考えながら、足早に通りを抜ける。
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余震から12日が経ち、アサンは半分程度の店舗が営業をしていた。

タメルも本当に人が少ない。
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地中の配管が壊れてしまったらしく、道路が掘り起こされていた。
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一度クンデ・ハウスに戻り、夕方改めて、
スワヤンブナートの近くにある学校を訪問した。
被災度のチェックとまでは行かないが、
友人から紹介されたとある日本の方に、
この学校の状況を見て来て欲しいと頼まれたのだ。
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階段室のクラックが激しい。
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学校として、このまま生徒を通学させるのは難しい状況。
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教室内にも、たくさんのクラックが。
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校舎はほとんどが被災していて、
これだけの規模を立替となると相当な資金と時間が掛る。
その間、生徒たちはどこで勉強をするのか…
目前に迫ったネパールの一斉学校再開日を前に、
様々な事が頭に浮かぶ。


3日間の予定をすべて終えて、クンデ・ハウスへ。
そこには素敵なサプライズが。

アチャイシは、飛びきり美味しい
2種類のモモを作って待っていてくれた。
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特にチーズの入ったべジモモは絶品。
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子ども達も手伝って、たくさんのモモを作ってくれた。
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夕飯が終わると、リビングのお勉強ボードが裏返されて、
そこにはこんなメッセージが。
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「HAPPY BIRTHDAY TO YOU」

滞在中に誕生日を迎えた石川に、子ども達がお誕生会を開いてくれた。
手描きで作られた、こんな立派なプログラムが。
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パーティー用の素敵な帽子も準備されていた。
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日本語演劇、英語演劇、日本の歌、チベットの歌、
それにファッションショーまで、とても盛り沢山な内容のプログラムは、
全て子ども達が企画し、練習し、この日に向けて準備してきたとの事。
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全編日本語の演劇は「かさ地蔵」。
忘れかけていたストーリーを思い出し、
心打たれる名作昔話に、しみじみ。

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ちいさな子ども達のグループも、
英語で演劇をしてくれました。
とにかく可愛い!

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こちらは、英語劇。

チベット語の歌は、「母の歌」。
日本語の歌は、「やさしさに包まれたなら」。

男子チームによる、ネパールの民族衣装のファッションショーも。
これが何と、女装のファッションショーで
みんなお化粧をアチャイシにしてもらって、
可愛く踊ってくれました。
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素敵なケーキも!

これだけの事を、企画してやり遂げる成長ぶりに
驚き、そして感謝。
観音菩薩様も、サポーターの皆さんも
TCPを見守って下さるすべての存在に
心から御礼を言いたい。

短い滞在ではあったが、こうして無事に
当初の建物調査の予定を全てこなして
帰国の途に着いた。

ひとまずTCPの建物の被災度合いが軽微であり
そのことに関しては、安堵した。

ただネパール全体の被災度、
特に山岳部の奥深い地区などは
村が丸ごと消滅してしまったところもある。
アムチの医療支援の報告写真を見ても
本当にそれはひどい状態で、言葉を失う。
どんな道筋でなのか、今はまだ見えないが
人々の傷が癒えて、様々なものが回復し
再び、あの穏やかなネパールを取り戻す日が
必ず来ると信じたいし、祈りたい。

建物の被災度調査 2日目 その2


たった今、届いたばかりの子ども達の写真を
先にアップしますね。

一昨日から、学校が通常授業になり
校庭での授業も、教室へと移動して
やっと学校生活も落ち着いて来ました。
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日常が戻ってくると、毎日の大量の宿題も復活です。
既に午後9時を過ぎようとしていますが、
まだまだ宿題タイムです。


建物の被災度調査 2日目 その2

アムチの親しいお坊さんが在籍するボダナートの僧院から、
建物調査の依頼を受け訊ねた。
こじんまりとしたゴンパは、階数も低く、壁厚もあり、全く損傷がなかった。
「どう見てもこのお寺、大丈夫なのに何が不安なのだろう?」
疑問に思いつつ、食堂に案内された。
「まずはお食べなさい」と、ベジトゥクパをご馳走になった。
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今日は検査の予定がぎっしりなので、あんまりのんびりしている暇はないのですが…
と思いつつ、トゥクパをかき込む。
そこで本題が語られた。

地震後、問題になっているはこの小さなゴンパではなく、
隣接した壮麗な建物のゴンパだった。
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いくつもの僧坊とお堂からなる大きなゴンパ。

写真奥の6階建ての建物は、最上階が潰れ、
地震後は誰も中に入っていないと言う。
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写真右手の黄色い建物が、
最初に尋ねたゴンパの3階建ての僧坊。
奥の6階建ての僧坊は覆いかぶさるように巨大で
次の地震で倒れてくるのでは?
倒れてくるとしたらどの方向に?
と言うのが、今回、お声を掛けて頂いた理由だった。

僧院に所属している数百名の僧侶たちは、
現在パルピンの修行場に全員避難しており、
寺守りの僧侶数名だけが、庭に張られたテントに残っていた。

お寺の人たちも近隣の人たちも誰もが
「次の余震が来たら、この建物は崩壊する」と思っている。
6階建ての建物は巨大で、近隣の建物との距離も狭い。
もしも本当にこの建物が崩落するようなことがあれば、
隣の小さな寺院などなくなってしまう。
近隣への甚大な影響は避けられない。

私達が建物の中に入って調査すると言うと、とても驚いていた。
確かに最上階がぺしゃんこになって
スラブが傾いている状況は、下からでも見えるため
それだけに着目したらとんでもなく危険だと思えるのだろう。

かろうじて鍵だけは開けてくれたが、
誰も建物内には怖がって入らない。
「私達だけで見て来ますから大丈夫ですよ」と言うと、
皆、安心した表情で足早に建物から離れた。
もちろん私達だって、危険な建物には入らない。
外観と1階の階段室から、立ち入り自体は可能だと判断したのだ。

階段室の壁には、RC(鉄筋コンクリート)の柱、梁の取合い部分に、
もれなくひびが生じている。
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(つまり縦横に入っているひびの部分が、柱や梁とレンガ積みの壁の境目)

詳細に調べるには、表面のモルタルをはがして、
レンガの積みの壁の状態がどうなっているか見なければならないが、
柱梁の取合い部分以外にひびが無いため、
レンガ自体にズレやひび割れは生じていないと考えられた。

「今後もこの建物が使用可能なのか」を見極めるには、
さらに詳細な調査が必要だが、
今回のミッションは限られた時間の中で
「今後の余震でどうなるのか(倒壊するのかどうか)」を判断するため、
巨大な建物の内部を足早に見て回った。
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基準階の居室部分には、あまりひび割れは見受けられない。

6階部分もほぼ無傷。
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屋上に上ると、こうなっていた。
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大きな建物を賄うための大きな給水タンクが、
重さと偏った配置によって塔屋をつぶしてしまった。
この潰れて傾いたスラブだけを下から見上げて、
お坊さん達は「建物の最上階が完全に潰れた」と表現していたのだ。

建築的にいうと、
この給水タンクがこの配置では致し方なし…と言うところだが、
その倒壊の結果として、他の構造体を傷つけている様子もないので
見かけのインパクトは大きいが、
建築的には建物全体への影響はほとんどない。

建物を見て回った時に一点だけ、違和感があったので
「もしかしてこの建物は、最初は3階建てでしたか?」と聞いてみた。
僧侶によるとまさに、最初は3階建てで、
その後、増築されて今の6階建てになったとの事。
「なぜ分かるのです?」と質問された。

良く見ないと分からないが、
3階だけが他の階と違って微妙に階高が高いのだ。
全体のプランニングから考えても、3階だけ階高が高い理由は
もともとそこが最初は最上階だったと考えるのが、設計者としては妥当だ。

最初から6階建てを見込んで設計された建物だったのかどうか…。
増床はネパールでは良く行われる事だが
果たしてそれが、最初から計画されたもので
構造に織り込み済みなのかどうかは、設計図を見ないと分からない。
ただそれが無い以上、現状から判断するしかない。

総合的に構造体の状況から考えて、
この建物に関して前回と同じレベルの余震が来ても、
まずは倒壊の危険は無いと判断した。

次に大きなお堂を有する建物を診断。
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こちらは階段室の損傷が激しかった。
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1階の壁は、モルタルが剥がれ落ち
レンガ積みの壁にも亀裂が入っている。
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大きな余震が来て直ちに崩壊する様な状況ではないが、
強い余震が来るたびに、1階のレンガ積みの壁の亀裂が増え
だんだん建物の重量を分担して支える事が、難しくなってくる。
但し、お坊さんたちが恐れるように「次の余震で崩壊」と言う状況ではない。
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他にも案内された別建物を見たが、こちらは特に問題は無し。
とにかく「次の余震で建物が壊れる」という状況ではない事をお伝えする。
少しは安心してもらえたと思う。


次にアムチの友人のアムチが診療所を構える建物へ。
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本日最大の危険建物。
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近づきたくもない被災状態だが、
何とまだこの建物には、複数の部屋で人が生活している。
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見た目にひどく傷ついているのは1階のみで、
2階以上はクラックひとつない状況のため、
上階の住人達は平気で生活している模様。
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1階の柱は、鉄筋がむき出しになっている。

ゴルカに医療支援に行っているアムチの友人に電話し、
とにかく早く転居する様に話す。
実は地震後、ヨーロッパの技術者にも
「この建物は居住不可。危険。」と言われていたらしいが、
恐ろしいもので集団心理が働いて、何となく住み続けているらしい。

もっと驚いた事に、この建物の庭に、
職人が大勢で井戸を掘っていた!!信じられない。
状況写真だけ撮り、早々に建物を離れる。

この地域は建物が密集しており、
もしも今後の余震でこの建物が倒れるような事になれば、
周囲に甚大な被害をもたらす。
行政代執行で壊して欲しいぐらいの建物だが、
現状のネパールでそんなことは期待できない。
そして多分、明日からもアムチの友人以外の住人は、
ここに住み続けるのだろう。
それを、どうにもできない無力感。

物件を見終わる毎に、水分補給。
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インドでは熱波で多数の死者が出ているが、
ここネパールでも連日とにかく日中は異常に暑い。
何度も書くが、本当にテントやトタン屋根の仮設での生活の人たちが心配だ。

昼食後、カトマンズ武道館へ。
その後、子ども達の通うバヌバクタ学校へ。
建物の被災度に関する報告は
こちらのブログをご参照下さい。

移動中も、街のあちこちで、
被災建物を見かける。
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その後、カトマンズ日本人補習校へ。
(正式名称はカトマンズ補習授業校)
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玄関でスタッフに挨拶をしていると、
たまたま訪問中であった、在ネパール日本大使の奥様にお会いする。
私達の訪問の意図を知ると
「どうぞよろしくお願いします」と挨拶を受けた。

国家公務員や、企業から派遣された駐在社員、
あるいはネパールの方と結婚された在住者の
子息の大半が通うこの学校は、
現地の日本人会が主体となって運営しているが、
れっきとした日本政府の認可校。
将来、ネパールと日本の懸け橋となる可能性を
多分に秘めた子ども達は、日本にとっても財産であるはず。
本来なら日本政府が雇った技術者が
被災度判定に来ても良さそうなものだが、
自腹で勝手にやって来た日本人に
それを任せる事に疑問は無いのか?…と思ったが、
そんなことを言う隙は無かったので、ここで苦言を呈しておきたい。

教室内には多少のクラックが生じているが、いずれも軽微。

多くの建物で、その設置状態が問題を生んでいる給水タンクは、
理想的な状況におかれていて全く問題なし。
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ちなみにこの屋上から見えるご近所の建物の給水タンクがこちら。
RC(鉄筋コンクリート)の柱1本で支えている。
地震の周期によっては、非常に危険。
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庭の裏のレンガの壁は崩壊。子ども達に被害がなく、本当に良かった。
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建物全体としては構造体にダメージは無く、
今後も使用は可能と判断した。

地震のみならず、経年変化により予想される懸念事項には、
その兆候をお話し、定期的に
建物を簡易チェックをすることをお薦めした。
日本の基準で診断し、日本語で詳しく内容を解説させて頂いたので、
安心して頂けたのではないかと思う。

その後は、在住日本人の方のご自宅、
そのご親戚の家など、数件の被災度を診断。

夕方、いきなり黒く雲が立ち込め、
信じられないような暴風が吹き荒れた。
外に立っている事が出来ず、車に避難。
辺りは一瞬にして暗くなり、爆風と雨に閉ざされた。
誰もがこの日、このあまりにも不吉すぎる夕方の自然現象に
「また何か起こるのでは?」と不安になった。

この日も日没まで建物を巡回し、
周り切れなかった個人宅は、
明日の朝、伺う事にしてお仕事終了。

子ども達の待つ、クンデ・ハウスに帰宅。
日中の暑さで疲労が激しかったが、
子ども達のこんな姿に、元気を回復。
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癒されます。
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何でもちょっとしたことが、本当に楽しそうな子ども達。
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さあ明日も、頑張ります!

建物の被災度調査 2日目


6時に起床し、子ども達と朝食を摂る。
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今日もみんな元気!

日課のクンデ・ハウス一斉清掃を終える頃、
石川は夫と、恒例の朝のスワヤンブナートコルラに出掛けた。
夫のお供はチミ&ツェテン、石川のお供はパサン&クンガ。
6人でまずはアムチの診療所へ。

朝食をまだ食べていなかったアムチに誘われて、
近所のお茶屋でチャイを飲む。
子ども達はスイカをアムチにおごってもらって嬉しそう。
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未だ地元の新聞は、地震の記事で埋め尽くされている。
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山岳部ではひどい地盤崩落が起こっているとの報道。

この日の一面は、トタンで仮設住宅を作る人々。
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みんな政府の援助などアテに出来ないと分かっているので、
こうしてさっさと自分たちで仮設の住まいを作ってしまう。
実にたくましい。

朝の涼しいうちにコルラ…と思っていたが、8時はもう既にかなり暑い。
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お隣のインドでは熱波の影響で2,000人以上が亡くなっているが
ここネパールでも昼間は連日、異常な暑さ。
こんな中、テントで生活している人達の健康は、大丈夫なんだろうか…。


コルラ道には、TCPが一番最初に
チベット医学予防室の診療所と、語学教室を構えた建物がある。
しかしそこは激しく被災していた。
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階段室の壁が、一部崩落。

かろうじて建物は立っているが、1階からしてこの様な状態。
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階段室も鉄筋がむき出しになっている。
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建物自体が傾いて危険なため、既にそこは通行止めになっていた。
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さらに進むと、知り合いのベーカリーがある。
昨日少しだけ立ち寄ったが、既に遅い時間で、
クラック等が見えにくい状態だったので改めて建物をチェック。
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先代が建てた古い2階建ての
こじんまりとしたレンガ造りの建物は、
残念ながら被災度が高い。
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床にも亀裂が入っている。
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残念ながら、継続使用は不可能。
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今後の大きな余震を考えると、
周囲の建物に影響を及ぼす可能性もあり、
出来る限り早めに取り壊したいところだが、
もっとひどい崩壊現場は数多くあり、
取り壊しには、まだまだ時間が掛る模様。
オーナーの事業が軌道に乗っており、
取り壊しの費用が準備できるという事だけでも、良かったなと思う。
きっと被災者は、取り壊しの資金など準備できない方が多いはず。

途中にもこの様な家がちらほら。
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つっかえ棒をしているものの、
これは全く構造的には助けにはなっていない。

アムチの案内で、少しコルラ道をそれると、そこにはこんな車が。
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目を反対側に向けると、この様な光景が。
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壊れたゴンパ。
残った柱の形状から察するに、広いお堂の左側の壁が外に膨らみ、
重い飾り屋根が一挙に落ちてきたものと思われる。
右手の建物だけが、壁量が多かったためかろうじて形をとどめている。
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同じく僧院の付属施設の建物も
構造的な被害が大きい。
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その奥手にある建物も、一見、無被害のように思えたが、
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近づいてみると1階だけがひどく損傷を受けていた。
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この後にも出てくるのだが、
5階程度の建物で、1階のみがひどく損傷していて、
2階以上の階はクラックひとつないというパターンも多かった。
完全に建築的には使用不可能な建物だが、
2階以上があまりに無傷の状態なため危険と思えないらしく
未だに人が住んでいる場合もあり、非常に悩ましかった。

この後、アムチの友人のお坊さんに頼まれて、ボダナートの僧院へ移動。

→建物の被災度調査 2日目 その2へ続く

建物の被災度調査 1日目


少し時間が経ってしまいましたが、
東京事務所の石川が夫と二人で、
地震後のネパールに建物の被災度を調査しに行った話を、
綴りたいと思います。


第一日目

5月22日の昼過ぎ、飛行機は20分遅れで、トリブバン国際空港に着陸しようとしていた。

高度を下げた飛行機から見た郊外の景色は、
事前の情報通り「被害建物は少ないな」という印象だった。
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「事前の情報」の仕入れ先は、
5月13日に開催された土木学会主催の
「ネパール地震 地震被害調査結果 速報会」。

東京大学生産技術研究所で行われたこの報告会では、
3つの先遣隊の調査報告が行われた。
愛媛大学の森伸一郎准教授の発表によると、
「カトマンズにおける建築的な被災建物は、全体の5%」との事。

地震直後にメディアからもたらされるカトマンズ市内の地震被害写真は、
そのもっとも甚大な被災部分ばかりが切り取られているために、
一時はカトマンズが壊滅したかのような印象を受けた。
ダルバール広場の写真も、
壊れた建物がより多く切り取れるアングルで撮影されたために、
歴史的な建物が完全に消滅したかのように思えた。

眼下に広がる景色は、いつもの見慣れたカトマンズであることに、まずは安堵する。

空港に降り立ち、足早にアライバルビザの窓口に並ぶ。
そこは海外からの支援の人々の列が出来ていた。
およそ30分でビザを取得し、
日本から持ち込んだ支援物資を無事に受け取りカートに乗せ、
ゲートを出ようとした時、「支援物資をお持ちの方はこちらへ」と係員に誘導された。
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ネパールの現地発信の地震関連のサイトに
「テントや医薬品など、支援物資には関税を掛けない。
 但し、支援物資である旨、箱に明記する事」とあったので、
分かりやすく「Relief supplies」と紙を貼っておいた。

係員についてゆくと、箱の中身を問われた。
「ほとんどがテントです。全て支援物資です」と言うと別の係官が、
「では、こちらのフォームに記入を。支援物資は品物別に申請をする必要があります。
 また購入した値段を証明するレシートも必要です。持って来ていますよね?」と言う。

はて?
つい先週、ボランティアの方にテントを大量に運んで頂いた時には
この様な手続きは無く、すぐに空港を出られたのに、
一体何の必要があってこの様な面倒な手続きをしなければならないのか?

テントと医薬品に、それぞれ専門の係官がおり(各1名)
私達の前にいる30人ほどの韓国の支援隊が、
テントの係官と激しく言い争っていた。

とにかくここで明らかになったのは、準備されたご立派な複写式の書類に、
金額と共に物資の内容を明記し、購入額の証明としてレシートを提出する事。
それが出来ない場合は、全て物資は没収と言うものだった。
ありえない…。

「支援物資と明記するようにと言うお達しは、トラップだったのか?」
にわかに疑いの気持ちが湧く。
何があっても、絶対にこのテントを没収される訳には行かない。

「支援物資と明記する事」と謳ったツイートには
「万が一、空港で税金を掛けられそうになった場合は、こちらまでお電話を」
という3名のネパール人の電話番号も書かれており、
私は抜かりなくその番号もプリントアウトして持って来ていた。
近くにいたネパール人に、その番号に電話をしてもらうも、
結局電話に出なかったり
「自分は担当じゃないから、この番号にかけ直してくれ」などと埒が明かない。

テントの男性係官と韓国隊は益々ヒートアップしている。
一体こんなことをして、ネパールに何の得があるのか?
意味が分からない。

中年のネパール人女性が
「あなたたち、遠くから来てくれたのに申し訳ないわね…」と、
とてもすまなそうに、こちらを見ている。
申請の順番の列を整理しているという事は、
この女性も役人か、そのお手伝いの係官なのだろう。

列の前方では、韓国隊が相変わらず激しく係官とやりやっており、
私達はただただ放置されていた。
すると先ほどすまなさそうな視線を送ってくれた女性が
「ところでこれは、個人から個人への支援物資よね。
 テントって言ったって、お友達の庭に建てるテントでしょ?」と言ってきた。
その発言の意図を計りかねたが、ひとまず頷いた。
「だったら支援物資と言うより、プレゼントみたいなものよね」。
次に小声で「荷物を二つに分けて(目立たないようにして)」と素早く言い、
私達が指示通りにすると、警備員の女性に目配せして、
男性係官が怒りに集中している隙を狙って、私達を外に逃がしてくれた。
ああ、感謝!

後になって知るのだが、どうやらネパール政府は、
各国からの支援を被災地に平等に配布しようとしていたらしいのだ。
海外から持ち込む支援物資(特に必要とされたテントと医薬品)を登録させ、
その行き先を管理しようとしていたらしい。
その心意気は立派だが、
被災地の範囲も被災度合いも詳細を把握しかねている現状で、
どうやってコントロールなど出来るのだろう。
政府にゆだねて平等な支援が行われるなら協力もしたいが、
どうにもそうは思えない。
ここで物資を取り上げられたら、長い間、
きっと放置されたままになるに違いない。
とにかく幸運にも物資は持ち込むことが出来た。

ゲートを出ると、私達がなかなか出てこず
待ちくたびれたアムチとヌモとジグメが、
スマホのゲームをしていた。
アムチの無事な顔を見て、やっと笑顔が漏れた。

物資をひとまずクンデ・ハウスに運び、早速、建物の被災度を調査。
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もれなく子ども達も、一緒に回ります。
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「ここ、割れちゃったんだ」と教えてくれるチミ。
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いくつかの補修すべき点はあるものの
構造体自体が損傷を受けていない為
このまま建物を使用することに問題は無いと判断した。

続いて、チベット予防医学室に移動。
移動途中、バイクから建物の被災状況を眺める。
クンデ・ハウスのご近所にも、被災度の激しい民家があった。
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表面のモルタルがはがれ、その奥のレンガ積みが完全に割れている。
こうなるともう、この壁自体が建物の重量を支えられない状態になっており、危険。

昔のクンデ・ハウス(左)と、アムチの昔の下宿先(右)。
遠目でしか見る事が出来ないが、損傷はない模様。
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昔のクンデハウスのお向かいのレンガの塀が
途中から崩れていた。
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2m以上もあるレンガの塀。
よくあるタイプの塀。地震時は、非常に危険。

あちこちの空き地には、こんな風にテントが張られている。
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テントと言っても、シートとロープで作った非常に簡素な作り。
この時期、インドは熱風で2,000人以上の死者を出していたが
ここカトマンズも例外なく、昼間は異常に暑い。
通気性も悪く、遮熱性もないただのシートを使ったテントは
生活の場としては、身体に堪えるはず。

移動途中、今回、ご近所で一番被害の酷かったルンバスーパーの前を通る。
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建物の倒壊した状況に、言葉を失う。

今回、この建物内で17名が亡くなった。
スーパーのオーナー(旦那さん)、息子2人、娘1人も亡くなった。
残された奥さんともう1人の娘さんの気持ちを思うと、いたたまれない。
地震後毎日、アムチはこの現場に通って捜索活動に参加した。
詳しく聞くのははばかられたが、どう考えても重機なしに、
全てのご遺体を取り出せたとは思えない。

スーパーの前面と左手は、それぞれ道に面していた。
その面は見栄えよく大きなガラスで覆われ、店内を明るい印象にしていた。
ただそのためにこの2面は極端に壁量が少なく、
地震の際に、5階建ての建物の重量を支えきれず、
1階の柱が座屈したものと思われる。
座屈した柱の側に建物が傾き、
次々に各階のスラブが折り重なった状態で倒壊している。
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壊れた建物で、完全に道路が閉ざされてしまっている。

空港に到着してから今まで、同様に倒壊している建物をいくつか見た。
道路のガレキはよけられてはいたが、どれもまだ倒壊したままの状態だった。
重機は1台も見ていない。
重機なしに、これだけの現場が片付けられるとも思えない。
きっとここも、この後長くこの姿のままなのだと思う。
ご家族の気持ちを思うと、その期間が出来るだけ短い事を願う。


チベット予防医学室。
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予想外に、ファサードのはめ込みガラスは無傷。

地震の時には、アムチとお手伝いの男子チーム数名が、
製薬の作業をしていた。
ひどい揺れに全員で外に飛び出し、そのままクンデ・ハウスへ。
アムチはもう二度と立ち入ることが出来ないほど、
建物が致命的な状態になったと思ったらしい。

後日、恐る恐る片付けに来たアムチと加藤は、
多くのガラスの薬瓶が割れて床に散乱する光景にショックを受けたと言う。
滅茶苦茶な室内の様子を目にし、さらに建物の安全度への不信感が募ったようだ。

実際は階段室に派手な亀裂が入っているが、構造体に損傷は見られない。
外観も傾きもなく良好。建築的にはこのまま居住可能と判断。
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あらゆる場所からチェック。
外観に傾きが無いか点検するのも、非常に重要。

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割れた分の薬瓶も、徐々に補充し、診療も再開。
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この後、スワヤンブナートのアムチの友人宅へ。
3階建ての内部の全室をチェックしたが、
建物自体は構造体に目立った損傷がない。
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しかし建物周囲の地盤が下がり、外周部に亀裂が発生。

地盤に原因があると思ってヒヤリングしたところ
この場所はもともと山を切り崩して造成し
その際に盛土をして、地盤の高さを調整したのだという。
ただ盛土をしただけで、段差の部分に何ら手当てがされていない為
残念ながら、家全体が、微妙に谷側に傾いてしまった。
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翌日撮った写真。
写真の奥側に、建物自体がわずかに傾いている。

屋上の給水タンクは、非常に危険な状況になっていた。
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屋上の立上がりの壁も、揺れた側に倒れ込んでいた。
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具体的な補修と、今後の展望を
なるべく詳しくお話する。

まさか、建築的な建物被災度が「無被害」または「軽微」であるのに
建物自体がまるごと傾いて問題を呈するとは…。
そんな被害を最初は予想もしていなかったが
案外、このパターンの問題も地域によっては多い事を
この後の2日間で、知る事になるのだった。

日が傾き、この日の作業は終了。

帰宅が随分と遅くなってしまったが
それでも子ども達は、お経の練習などを先に済ませて
夕飯を待っていてくれた。

夕飯後、何人かの子ども達にリビングに連れて行かれ
「ここへ、こうして」と、広げたマットの上にうつ伏せになるように指示を受ける。
素直に従うと…

何と、5人がかりで、石川をマッサージ!
右手、左手、右足、左足、腰、それぞれに、
専属のマッサージ師がついて、まるでハーレム!!
ほぉぉぉ~。
ほぐれるぅぅぅぅ(涙)。

すぐに飽きるかな?と思っていたら、何とその後、1時間近くも掛けて
あれやこれやと、入念にマッサージ。
極楽、至福!!!
何よりも「疲れているだろうから、何かしてあげよう」という
そんな子ども達の心遣いが嬉しくて
もうそれだけで疲れが吹き飛んだ、ネパール滞在一日目の夜だった。

タンク掃除


学校が再開されて、イキイキしている子ども達。
でもまだ授業も午前中だけです。

武道館も破損してしまったので
あんなに楽しみに通っていた剣道も体操も
再開のめどが立たず…。
何かと時間に余裕があります。

今日はガーデンのタンクの掃除をしました。
タンク掃除2

井戸水をろ過して、
洗い物などに使う水を、溜めておくタンクです。
タンク掃除
ちょっと遊んでいる様にも見えますが
タチェンがタンクの中に入って
綺麗に掃除してくれました。

地震のあと


5月26日、ネパールで使われるビクラム暦に則ると
この日が地震から1ヶ月目の日でした。
ネパールの各所で、小さな祈りが行われました。
この日を「ひと区切り」と考える、ネパールの方も多かった様です。

6月2日、チベット暦のサカダワ月の満月でした。
毎年スワヤンブナートでは多くのチベット人が、
サカダワの前日には、夜を徹してコルラをしますが
今年は半分程度の人出でした。
毎年クンデ・ハウスも全員でコルラに出掛けますが
今年は希望者だけとしました。

コルラ開始!
アチャ・イシが写真を撮っておいてくれました。
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もしも夜に外で余震が来たら危ないですし、
年少さんは、家に残りました。

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明日には満ちる月の光に照らされて、コルラ終了~!

チベット人にとっては、特にこのサカダワが
地震と関連して、特別な日ではありませんが
それでも1年の大きな節目の日を迎えたことで
気持ちは少し、刷新されたと思います。

こうやって何かの日付を境に
人は「ひと区切り」と、心を仕切り直して
前に進んでいくものなのですね。


すみませんが、ここからは東京事務所の石川のつぶやきです。

短いネパール滞在の間に、
色々な建物の被災度調査をさせて頂きました。
実質的に丸2日で、

・TCPの建物2棟(クンデ・ハウス、チベット予防医学室の診療所)
・バヌバクタ学校
・カトマンズ武道館  など
TCPの生活圏の建物と、この他に要請を頂いた

・2件のゴンパ(チベット寺院)の3棟のお堂と僧坊
・カトマンズ日本人補習校
・チベット医学のクリニック
・個人宅 多数
を調査に回らせて頂きました。

大抵の場合、家にしろ公共の建物にしろ
それはその方(や団体)にとって、最大の財産です。
だからこそ、一つ一つの建物を、心して診させて頂きました。

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技術者としては、事実を的確に判断しますが
建物の使用については、出来る限り丁寧に
今後起こり得る可能性のある余震について、
様々な想定をお話した上で
現実的な方針をお話しました。

日本に戻ったら、被害の傾向や実態をなるべく分かりやすく
ブログでもご紹介しようと思っていましたが
こうして帰国して、改めて写真を見返してみると
色々と複雑な思いが湧き上がって来て
ブログにまとめる事が困難でした。

どう見ても建築的には、居住不適格な建物なのに
どのような理由なのか、まだ人が住んでいたり
危険だから少しでも早く解体したほうがいいけれど
お金も重機も無くて出来なかったり
危険と判断した建物が、先代のお父様が苦労して建てられた
家族にとって出発点とも言える建物だったり
建物ごとに、実に色々な事情やストーリーがありました。
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きっと仕事だったら、技術者視点で
さっさとレポートできたと思います。

一つ一つの建物に、
それまでの生活があり、歴史があり…
それらが一瞬にして危険な状態になったことで
そこに住む方々の人生も、否応なく激変します。
仕事じゃない分、そういう事に
帰国後心が引っ張られてしまって、客観性が保てず
なかなか建物に関して、ブログを書く気になれませんでした。

帰国から10日が過ぎて
多くの人が何らか「ひと区切り」と心を仕切り直している様子を見て
情報共有の観点からも、やはり見て来たことを
整理して書いておこうと思い始めました。
少しづつ、まとめて行きたいと思います。

2015年 サカダワ


本日西暦の6月2日は、サカダワです。

サカダワとは、チベット歴の4月のことで
この月の15日(満月の日)は
お釈迦様が生誕し、成道し、涅槃された日とされているので
チベット人にとっては、とりわけ重要な日なのです。

サカダワ月は、その初まりの日から満月まで
チベット人達は肉食をつつしみます。
クンデ・ハウスも例年は、完全なベジタリアンですが
今年は地震などもあって、ちょっとゆるめの食事で
今日の日を迎えました。

サカダワの日の前日は、
夜を徹して、スワヤンブナートをチベット人達がコルラします。
昨晩、アチャイシは子ども達を連れて
スワヤンブナートにコルラに出掛けました。
サカダワの恒例行事です。

…その写真が無いのは、残念ながら加藤が
体調を崩して、コルラに参加できなかったからなのです。

スワヤンブナートは残念ながら現在も
寺院が破損してしまって危険なため
ロープを張られたまま、入る事が出来ません。

ネパールにとっては激動の5週間でしたが
こうして今年もコルラをしながら
サカダワを全員で迎えることが出来て、感謝です。
これまでのどの年にも増して
こうした普通の日常が、
かけがえのない大切なものだと感じています。

ネパール地震に際しては
多くの方々にご心配を頂き、ありがとうございました。
幸いにもTCPには人的にも、物質的にも
大きな損失はありませんでした。
しかしネパール自体は、大きなダメージを負い
人々もそれぞれに、心に大きなトラウマを残しました。

子ども達の学校の校舎は、
小学部が使う校舎に置いては、
全く建築的には無被害の状態でしたが
それでも親御さんたちの強い反対で
教室には生徒を入れていません。

全員が外で、半日、
歌を歌ったり、踊りの練習をしたりしています。
先生も半分以下しか、登校されていません。

もうすぐ雨季が始まるので
このままという訳にも行かないのですが
学校の授業でさえ、この様な状況です。
カトマンズ市内では、未だに多くの方々が地震の恐怖から
建物に問題のない家であっても、入る事を恐れて
外で生活されています。

あらゆる側面において、まだ
希望と言えるようなものが見いだせる状況ではありません。
特に山岳部においては、
被害の詳細が日々、さらに明らかになっていますが
多くの場所で、救援や支援が必要な状態が続いています。
雨季のタイムリミットも迫ってきてはいますが
少しでもそれらの支援に寄与できればと考えています。

震災以後、多くの方々に
たくさんの義援金をお寄せ頂き、ありがとうございました。

その中でも、これまで全くTCPの事をご存じなかったのに
ご信頼を頂いて、義援金を託して下さる方がたくさんおられて
本当にありがたいです。

名古屋市中川区で「ネパールアジアンキッチン マチャプチャレ」を
経営されている前田様も、そんなお一人です。
Machapuchare

「お店の客様からご寄附いただいた大切なお金ですので、
 使い道が明瞭で信頼できそうなところということで、
 送金させていただきました。
 お会いしたこともないのに変ですが、
 HPやブログなどを拝見してそう感じたからです」
そうおっしゃって、お店の募金で集めて下さった72,639円を
お送り下さいました。
こんなにもたくさんの義援金をお寄せくださり
ありがとうございます。

「信頼できそう」だと思って下さった事に
改めて身が引き締まる思いです。

前田様、そしてマチャプチャレのお客様方のお気持ちを
支援の形に替えて、被災された方々にお届けします。
ご協力を頂きまして、ありがとうございました。

チベット人の間では
サカダワの月に行った善行は
通常の数百倍ものご利益が、もたらされると信じられています。

ネパールをご心配下さり
義援金にご協力を頂きました皆様に
たくさんのご利益がもたらされるようにと願っております。
ありがとうございました。

義援金による支援活動


4月27日より募集を開始いたしました
「ネパール緊急支援への義援金のお願い」。
昨日で、募集を締め切らせて頂きました。

これまでに皆様がお寄せ下さった義援金により
実現した支援を、改めてご報告させて頂きます。
医療チーム1
ルンビニ医科大学病院の医師、看護師全員を
50万円分の医薬品、輸血と共に
一番被害の激しいゴルカ地区へ派遣。
緊急度の高い患者への治療を行いました。
医療チーム5
ゴルカ撤収後、医療チームは
パルパ西部の全壊した地区へ。

こちらも被災度が高く、様々な救急医療が必要とされていました。
骨折された方には、ギプスを。

生存者の捜索活動。
救助活動1

避難してこられた方々への、食事の提供。
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ゴンパでの食糧支援1

避難する人たち

断水地域への給水支援。
支援2

山岳部の被災地への食糧支援。
食糧支援5

車で行けない場所へは、徒歩で食糧支援をお届け。
食糧支援7
食糧支援9

笑顔と一緒に、安心感もお届け出来たのではないかと思っています。
食糧支援2

ネパール軍と協力してのガレキの撤去作業。
ガレキ撤去

ガレキ撤去2

トラックを使っての、支援食料の買い付け。
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記録を付けながら、村での食料配布。
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秩序を守り、食料支援の列に並ぶ人々。
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支援の届かない村へ、ヘリによる物資の支援と
カトマンズへの緊急患者の移送。
(ヘリのチャーター代は、別途篤志家の方によるものです)
10日8

10日4

10日3

医療支援が行き届かない山岳部に
伝統的な治療法による医療チームの派遣。
医療活動1

第2回TCP医療支援
途中の村も、被災度が激しかったです。

複数回にわたって、たくさんの医薬品も調達できました。
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12日の余震以後、
中国国境に近い町でも、インド北部でも調達が出来なくなったテントを
日本から、ボランティアの方に運んで頂きました。
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現在は山岳部に、引き続き医療支援を行っております。
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皆様のご協力のお蔭で
上記のような支援活動を行う事が出来ました。

今後、雨季の初まりに向けて、地盤崩壊や山崩れの危険があるため
医療チームは、順次撤退させたいと考えています。

小さな組織の活動ですので、被災地域の大きさに比べれば
とても限られた範囲の支援ではありましたが
災害急性期においては、ネパールに拠点を置く組織として
可能な限りの支援をやって参りました。

ご協力を頂き、心より感謝申し上げます。

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