建物の被災度調査 1日目


少し時間が経ってしまいましたが、
東京事務所の石川が夫と二人で、
地震後のネパールに建物の被災度を調査しに行った話を、
綴りたいと思います。


第一日目

5月22日の昼過ぎ、飛行機は20分遅れで、トリブバン国際空港に着陸しようとしていた。

高度を下げた飛行機から見た郊外の景色は、
事前の情報通り「被害建物は少ないな」という印象だった。
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「事前の情報」の仕入れ先は、
5月13日に開催された土木学会主催の
「ネパール地震 地震被害調査結果 速報会」。

東京大学生産技術研究所で行われたこの報告会では、
3つの先遣隊の調査報告が行われた。
愛媛大学の森伸一郎准教授の発表によると、
「カトマンズにおける建築的な被災建物は、全体の5%」との事。

地震直後にメディアからもたらされるカトマンズ市内の地震被害写真は、
そのもっとも甚大な被災部分ばかりが切り取られているために、
一時はカトマンズが壊滅したかのような印象を受けた。
ダルバール広場の写真も、
壊れた建物がより多く切り取れるアングルで撮影されたために、
歴史的な建物が完全に消滅したかのように思えた。

眼下に広がる景色は、いつもの見慣れたカトマンズであることに、まずは安堵する。

空港に降り立ち、足早にアライバルビザの窓口に並ぶ。
そこは海外からの支援の人々の列が出来ていた。
およそ30分でビザを取得し、
日本から持ち込んだ支援物資を無事に受け取りカートに乗せ、
ゲートを出ようとした時、「支援物資をお持ちの方はこちらへ」と係員に誘導された。
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ネパールの現地発信の地震関連のサイトに
「テントや医薬品など、支援物資には関税を掛けない。
 但し、支援物資である旨、箱に明記する事」とあったので、
分かりやすく「Relief supplies」と紙を貼っておいた。

係員についてゆくと、箱の中身を問われた。
「ほとんどがテントです。全て支援物資です」と言うと別の係官が、
「では、こちらのフォームに記入を。支援物資は品物別に申請をする必要があります。
 また購入した値段を証明するレシートも必要です。持って来ていますよね?」と言う。

はて?
つい先週、ボランティアの方にテントを大量に運んで頂いた時には
この様な手続きは無く、すぐに空港を出られたのに、
一体何の必要があってこの様な面倒な手続きをしなければならないのか?

テントと医薬品に、それぞれ専門の係官がおり(各1名)
私達の前にいる30人ほどの韓国の支援隊が、
テントの係官と激しく言い争っていた。

とにかくここで明らかになったのは、準備されたご立派な複写式の書類に、
金額と共に物資の内容を明記し、購入額の証明としてレシートを提出する事。
それが出来ない場合は、全て物資は没収と言うものだった。
ありえない…。

「支援物資と明記するようにと言うお達しは、トラップだったのか?」
にわかに疑いの気持ちが湧く。
何があっても、絶対にこのテントを没収される訳には行かない。

「支援物資と明記する事」と謳ったツイートには
「万が一、空港で税金を掛けられそうになった場合は、こちらまでお電話を」
という3名のネパール人の電話番号も書かれており、
私は抜かりなくその番号もプリントアウトして持って来ていた。
近くにいたネパール人に、その番号に電話をしてもらうも、
結局電話に出なかったり
「自分は担当じゃないから、この番号にかけ直してくれ」などと埒が明かない。

テントの男性係官と韓国隊は益々ヒートアップしている。
一体こんなことをして、ネパールに何の得があるのか?
意味が分からない。

中年のネパール人女性が
「あなたたち、遠くから来てくれたのに申し訳ないわね…」と、
とてもすまなそうに、こちらを見ている。
申請の順番の列を整理しているという事は、
この女性も役人か、そのお手伝いの係官なのだろう。

列の前方では、韓国隊が相変わらず激しく係官とやりやっており、
私達はただただ放置されていた。
すると先ほどすまなさそうな視線を送ってくれた女性が
「ところでこれは、個人から個人への支援物資よね。
 テントって言ったって、お友達の庭に建てるテントでしょ?」と言ってきた。
その発言の意図を計りかねたが、ひとまず頷いた。
「だったら支援物資と言うより、プレゼントみたいなものよね」。
次に小声で「荷物を二つに分けて(目立たないようにして)」と素早く言い、
私達が指示通りにすると、警備員の女性に目配せして、
男性係官が怒りに集中している隙を狙って、私達を外に逃がしてくれた。
ああ、感謝!

後になって知るのだが、どうやらネパール政府は、
各国からの支援を被災地に平等に配布しようとしていたらしいのだ。
海外から持ち込む支援物資(特に必要とされたテントと医薬品)を登録させ、
その行き先を管理しようとしていたらしい。
その心意気は立派だが、
被災地の範囲も被災度合いも詳細を把握しかねている現状で、
どうやってコントロールなど出来るのだろう。
政府にゆだねて平等な支援が行われるなら協力もしたいが、
どうにもそうは思えない。
ここで物資を取り上げられたら、長い間、
きっと放置されたままになるに違いない。
とにかく幸運にも物資は持ち込むことが出来た。

ゲートを出ると、私達がなかなか出てこず
待ちくたびれたアムチとヌモとジグメが、
スマホのゲームをしていた。
アムチの無事な顔を見て、やっと笑顔が漏れた。

物資をひとまずクンデ・ハウスに運び、早速、建物の被災度を調査。
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もれなく子ども達も、一緒に回ります。
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「ここ、割れちゃったんだ」と教えてくれるチミ。
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いくつかの補修すべき点はあるものの
構造体自体が損傷を受けていない為
このまま建物を使用することに問題は無いと判断した。

続いて、チベット予防医学室に移動。
移動途中、バイクから建物の被災状況を眺める。
クンデ・ハウスのご近所にも、被災度の激しい民家があった。
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表面のモルタルがはがれ、その奥のレンガ積みが完全に割れている。
こうなるともう、この壁自体が建物の重量を支えられない状態になっており、危険。

昔のクンデ・ハウス(左)と、アムチの昔の下宿先(右)。
遠目でしか見る事が出来ないが、損傷はない模様。
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昔のクンデハウスのお向かいのレンガの塀が
途中から崩れていた。
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2m以上もあるレンガの塀。
よくあるタイプの塀。地震時は、非常に危険。

あちこちの空き地には、こんな風にテントが張られている。
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テントと言っても、シートとロープで作った非常に簡素な作り。
この時期、インドは熱風で2,000人以上の死者を出していたが
ここカトマンズも例外なく、昼間は異常に暑い。
通気性も悪く、遮熱性もないただのシートを使ったテントは
生活の場としては、身体に堪えるはず。

移動途中、今回、ご近所で一番被害の酷かったルンバスーパーの前を通る。
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建物の倒壊した状況に、言葉を失う。

今回、この建物内で17名が亡くなった。
スーパーのオーナー(旦那さん)、息子2人、娘1人も亡くなった。
残された奥さんともう1人の娘さんの気持ちを思うと、いたたまれない。
地震後毎日、アムチはこの現場に通って捜索活動に参加した。
詳しく聞くのははばかられたが、どう考えても重機なしに、
全てのご遺体を取り出せたとは思えない。

スーパーの前面と左手は、それぞれ道に面していた。
その面は見栄えよく大きなガラスで覆われ、店内を明るい印象にしていた。
ただそのためにこの2面は極端に壁量が少なく、
地震の際に、5階建ての建物の重量を支えきれず、
1階の柱が座屈したものと思われる。
座屈した柱の側に建物が傾き、
次々に各階のスラブが折り重なった状態で倒壊している。
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壊れた建物で、完全に道路が閉ざされてしまっている。

空港に到着してから今まで、同様に倒壊している建物をいくつか見た。
道路のガレキはよけられてはいたが、どれもまだ倒壊したままの状態だった。
重機は1台も見ていない。
重機なしに、これだけの現場が片付けられるとも思えない。
きっとここも、この後長くこの姿のままなのだと思う。
ご家族の気持ちを思うと、その期間が出来るだけ短い事を願う。


チベット予防医学室。
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予想外に、ファサードのはめ込みガラスは無傷。

地震の時には、アムチとお手伝いの男子チーム数名が、
製薬の作業をしていた。
ひどい揺れに全員で外に飛び出し、そのままクンデ・ハウスへ。
アムチはもう二度と立ち入ることが出来ないほど、
建物が致命的な状態になったと思ったらしい。

後日、恐る恐る片付けに来たアムチと加藤は、
多くのガラスの薬瓶が割れて床に散乱する光景にショックを受けたと言う。
滅茶苦茶な室内の様子を目にし、さらに建物の安全度への不信感が募ったようだ。

実際は階段室に派手な亀裂が入っているが、構造体に損傷は見られない。
外観も傾きもなく良好。建築的にはこのまま居住可能と判断。
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あらゆる場所からチェック。
外観に傾きが無いか点検するのも、非常に重要。

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割れた分の薬瓶も、徐々に補充し、診療も再開。
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この後、スワヤンブナートのアムチの友人宅へ。
3階建ての内部の全室をチェックしたが、
建物自体は構造体に目立った損傷がない。
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しかし建物周囲の地盤が下がり、外周部に亀裂が発生。

地盤に原因があると思ってヒヤリングしたところ
この場所はもともと山を切り崩して造成し
その際に盛土をして、地盤の高さを調整したのだという。
ただ盛土をしただけで、段差の部分に何ら手当てがされていない為
残念ながら、家全体が、微妙に谷側に傾いてしまった。
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翌日撮った写真。
写真の奥側に、建物自体がわずかに傾いている。

屋上の給水タンクは、非常に危険な状況になっていた。
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屋上の立上がりの壁も、揺れた側に倒れ込んでいた。
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具体的な補修と、今後の展望を
なるべく詳しくお話する。

まさか、建築的な建物被災度が「無被害」または「軽微」であるのに
建物自体がまるごと傾いて問題を呈するとは…。
そんな被害を最初は予想もしていなかったが
案外、このパターンの問題も地域によっては多い事を
この後の2日間で、知る事になるのだった。

日が傾き、この日の作業は終了。

帰宅が随分と遅くなってしまったが
それでも子ども達は、お経の練習などを先に済ませて
夕飯を待っていてくれた。

夕飯後、何人かの子ども達にリビングに連れて行かれ
「ここへ、こうして」と、広げたマットの上にうつ伏せになるように指示を受ける。
素直に従うと…

何と、5人がかりで、石川をマッサージ!
右手、左手、右足、左足、腰、それぞれに、
専属のマッサージ師がついて、まるでハーレム!!
ほぉぉぉ~。
ほぐれるぅぅぅぅ(涙)。

すぐに飽きるかな?と思っていたら、何とその後、1時間近くも掛けて
あれやこれやと、入念にマッサージ。
極楽、至福!!!
何よりも「疲れているだろうから、何かしてあげよう」という
そんな子ども達の心遣いが嬉しくて
もうそれだけで疲れが吹き飛んだ、ネパール滞在一日目の夜だった。
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