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1989年のネパール再び


昨日の夜、FaceTimeで
加藤からネパールの状況報告を、東京事務所の石川が受けている時に
アムチから加藤に
「首相が変わったぞ!これは明るい兆しだ!」と
興奮気味に連絡がありました。

昨日、ネパール議会は新憲法制定を受けて首相選を実施し
その結果、第2党の統一共産党のオリ氏(Khadga Prasad Oli議長)が
新しく首相に選任されたのでした。

コイララ首相も続投を狙って立候補していたんだそうですが
オリ氏に敗れてしまったのでした。

オリ新首相は「憲法も見直す」という発言をしている様です。
これでインドとの歩み寄りは見られるんでしょうか?
とにかくもう、ガスもガソリンも一般人には買えない
物資不足のネパールです。
一日も早い解決を望みます!

加藤と石川の予想では
収穫祭ダサインを祝うためにも
何らかその前に、妥協案が提示されて
インドとネパールの関係が修復し、めでたしめでたし…
というストーリーになるのでは?などと話していたのですが
実は昨日、驚愕の過去を知ってしまったのでした。

「そう言えば26年前にも、同じようなことがあって
 あの時は18カ月もインドから物資の輸送が止まったわね~」と
遠い昔を思い出すネパール人の発言に、驚かされたのでした。

26年前??

調べてみると、
1989年3月、ネパール・インド通商・通過条約の失効により
今回と同じように、インドからの物流が途絶え
そしてまた今回と同じように、お互いが相手に非があると譲らず
実に1年以上にもわたって、ネパールがいわゆる兵糧攻めにあっていたのでした。
「だから今回だって、長期化したって何とかなるわよ」
と思っている様子のネパール人、本当に凄いです。

そして本当に何とかしようと、ネパール人の自助努力は凄いのです。
もうガスが無いので、人々は薪や燃やせるものを何でも集めて
外で調理をしています。
クンデ・ハウスも薪を集めるべく裏山を徘徊していますが
燃やせるものは既に、もう持ち去られた後…。
ネパール人のサバイバル能力を、見習わねばと思います。

とは言え、本当に何もかもが値上がりして、非常事態です。
タクシーはガソリンの給油のために、2㎞も列をなしている場所もあるのだとか。
でももちろん基本的に、給油が出来るわけではありません。
とりあえず、並んでいるだけです。
こんな状況なので、タクシーを捕まえるのは至難の業で
例え捕まえる事が出来たとしても、今は4倍ぐらいの値段を言われます。
通常700Rsの距離が、3,200Rsと言われました。

スタッフは食料の確保のために、
連日、大きなリュックで買い出しに行っています。
毎日、何時間も歩く事になるので
夕方には足が腫れてパンパンになります。

それでも、この状況では、
食料の確保が最重要です。

既にはた目にも分かるくらい、子ども達が痩せ始めているのが切ないです。
ガソリンが無く、ドクターが病院に出勤できない今
病院は開店休業状態です。
こんな時に体調を崩してしまっては一大事と
どんなにお金が掛っても、食べるものだけは
最低限、買えるものを買う事にしています。

地震の後とは比べ物にならないくらい
物質的な困窮が激しいネパールです。

インドとの関係が悪いので、インドに売電していないからか
停電はあるものの電気は来ています。
ガスのない今、調理に役立つのでは?と
ご訪問中のサポーターkmさんが、ホットプレートを買って下さいました。
DSCN0658-1.jpg
助かります…。

でももうこれも、最後の1個で
端が歪んでしまっていたのですが、
買わない選択は無いので、買って頂きました。
ありがとうございます。

いよいよ明日からは、ダサイン。
本来であれば、国中の機関が2週間のお休みとなります。
もしかしてインドとの交渉も、2週間お預けになるのでしょうか?
早くこの状態が解消してくれるようにと、願っています。

1989年のネパールの状況については
アジア経済研究所の関口真理さんのレポート
「つきつけられた内陸国の現実 1989年のネパール」
詳しく書かれていますので、ご興味のある方はご参照なさって下さい。
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