じゃ~ん!!!

素敵なオムライスが完成。
黄色い薄焼き玉子の上に乗った
アスパラの緑が
ケチャップの赤に映えて
彩りもきれいです。
これらはスタッフの指導の下
子ども達が作りました。
「いただきまーす」

栄養も考えて、豆も添えています。

薄焼き玉子を均一にきれいに焼いたり
それを人数分、手際よく作ったり…という作業工程を考えると
ごはんにルーを掛けるカレーのような料理よりも
何倍も手間が掛かりますが
こういった料理が出来るようになってきた事に
子ども達の成長を感じます。
今日もおいしいご飯が食べられることに感謝です。
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老人病棟で働いています。うちの病院も今日はオムレツでした。若者向けのメニューだと食べない老人も多いですが、卵は昔は貴重品だったこともあり、喜ばれる事が多いです。
長い入院生活だと美味しいものが食べられるのが一番の楽しみだと思います。でも、9割くらいの患者はミキサー食で、元々が何の料理か分からず食べています。
それすら食べられなくなると餓死します。
うちの病棟での一番の死因は餓死です。
もちろん、死亡診断書には心不全とか肺炎とか書きます。
昔は延命措置をしないと医師が処罰される可能性があったので、鼻からチューブ入れたり、大きな血管に直接栄養を入れてでも、延命していましたが、最近の医師は無理な延命は勧めて無いです。
でも、食べれなくなっても点滴だけはするので数ヵ月かけて、骨と皮だけにガリガリに痩せて死にます。
僕はそんな延命もしてほしくは無いです。
元気に美味しいものを食べれるのは幸せですね。
うちの病棟には100才過ぎて急に太って肥満の診断を受けている強者もいますよ。
食欲を失い気味の人でも甘い物だけはよく食べたりもします。
ネパールの学校では弁当さえ盗られる危険性があるとありましたが、子どもたちが飢えることなく食事を楽しめるようになるといいですね。
でんすけ様、コメントありがとうございます。
老人病棟でお仕事されているとの事、現場からの生々しい実情の報告に、色々と考えさせられました。
「生きる」という事は何なのか、どういう条件が揃えば「生きている」と言えるのか…。
心臓が止まったとか、脳機能が停止したとかいう尺度で日本の社会では「死」と決めていますが、チベット的な感覚ではそれらはあくまで死に至る過程の一段階です。何かの変化一つで「死」なのではなくて、ある時間の幅を持って移行してゆくものだと捉えていると個人的には理解しています。生きる事と死ぬ事について、もっと本来は真剣に時間をかけて考えるべきなのではないかと思っています。
クンデ・ハウスの子ども達は日々、お経を唱え、瞑想し、仏教的な価値観に基づいて生活する大人たちに囲まれています。そういう環境は、日本人から見ていてもちょっと羨ましいです。
日々、飢えることなく生命と健康を維持できる食事が出来る事を、とても感謝しています。