問答修行


チベット仏教では、
哲学的な思考が大変重要とされているので
僧侶同士が、問答を通じて
仏教を論理的、かつ明快に説明し、理解を深める
「問答修行」が行われます。

質問者は立ち、回答者は座ってお互いに向かい合います。
質問者は左足を大きく踏み出すと同時に
差し出した左手に、右手を勢いよく打ちつけ
大きな音を出し、同時に質問をします。

例えば「仏とは人であるか?」という風に質問し、
回答者は、その答えを仏教の教えに則って
論理的に回答するのです。

アパーに習って
問答修業をする子ども達。
問答2
右側に立っているジグメが質問者で
座ってその質問を、受けているのがイシ。


みんな、熱心に修行中。
問答


チベット本土で、この問答修行が最も有名なのは
ラサ市街から、北へ約8㎞のところにあるセラ寺です。

セラ寺は、その昔
留学僧の川口慧海が修行した寺としても有名です。
川口慧海は『チベット旅行記』の中で
問答修行に関して、下記のような記述を残しています。

『大学には14、5歳から4、50歳までの僧侶がいて、問答を稽古する。その問答はわが国の禅宗などと違って、非常におもしろく、また活発である。はなはだしいのはほかから見ると、ほとんど喧嘩しているのではないかと思われるほど、一生懸命にやっている。
 それはどういう風にやるのかと言うと、まず答え手が座っていると、問い手は数珠を左手に持ち、静々と歩んで答え手の前に立つ。そして手を上下向かい合わせに広げ、大きな声で、チー、チ、タワ、チョエ、チャン(文殊菩薩の心)と言って、ぽんと一つ手を打つ。...それから問答を始めるのである。』

 『その問答は因明の論理学のやり方であって、まず始めに「仏とは人であろうか」と問うと、答え手は「そうである」とか「そうでない」とか答える。もしそうだと言えば一歩を進めて、「では仏は生死を免れまい」「仏は生死を免れた」「いや、仏は生死を免れぬ。何故なら仏は人である。人が生死を免れぬように、仏も生死を免れまい」 このようにたたみかけて問い詰める。
 そこで答え手がやり手であると、「仏は人でありながら生死を免れた。仏の生死は仮に生死を示現したものである」などと言って、仏に法身、報身、化身の三種があることを解するようになるのである。
 また、もし人でないと答えると、「いや、インドのシャカムニ仏は確かに人であった。これはどういうことか」と言うように、どこまでもなじってゆく。どっちに答えても詰まるようにどんどん問答を進めるので、その問い方と答え方の活発なことは、実に立派なものである。』

川口慧海は、このような問答をチベット語で受け答えし
その成績は非常に優秀だったというのですから
本当に驚きです。

川口慧海とは言わないまでも
問答修行で、しっかりとした
仏教知識と論理的な思考を
身につけて欲しいと思っています。

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