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9月の出来事


先月、クンデ・ハウスではとても大きな出来事がありました。
サポーターの皆様には、直後にご報告をしておりますが
ブログ読者の方々には
まだお知らせをしておりませんでしたので
ちょうど一ヶ月が過ぎた今日、ここにその出来事を
ご報告させていただきたいと思います。

2010年4月に、3歳10ヶ月で
クンデ・ハウスに入居したプルパ・サンモは、
様々なやり取りの末に、
9月6日、実母が引き取ることになりました。
purpa-sangmo.jpg
入居した頃のプルパ・サンモ。


入居から引取りまでの経緯は下記の通りです。

プルパ・サンモの母親は、旦那さんが失踪して生活に困窮し、
子どもを置いて、実家に帰りたいとTCPを訪ねてきました。
もともとプルパ・サンモは、
ネパールで生まれた難民2世です。
TCPは本土から来た難民の支援をする組織として、
ネパールやインドで生まれた
難民2世の受け入れはお断りしています。

しかし、数回の面談で分かった事は、
母親自体が未熟で、
子どもさえいなかったら…と考えている事
母親が育児放棄をしてること、
生活環境と栄養状態が極端に悪いことなどを
総合的に審査して、現段階での保護がなければ
子ども自体が危険と判断し
特別に入居することになりました。

しかしこのような場合、
子どもが労働年齢に達した途端、
子どもの返還を求められるケースも多いため、
「18歳に達するまで、親権を主張しないこと。
 18歳まで、クンデ・ハウスで養育することに同意すること。
 18歳になるまで子どもの返還を要求しないこと」
などを何度も確認し、
最後はTCPが誓約書を製作し、
母親のサインを得て、入居となりました。

しかしながら、昨年、
母親の生活環境が大きく変化すると同時に、
子どもの返還を求めてくるようになりました。
母親はとある方の妾となり、
経済的に余裕が出来たようでした。
しかしながら、新しく現れた男性との関係も不安定で、
長期的な展望もなく、
とてもプルパ・サンモの養育を
責任を持って行なうとは思えない状況でしたので、
引渡しを断りました。

その後も何度もTCPを尋ねては泣き崩れるばかりで、
プルパ・サンモの将来や今後の生活について
なんら信頼にたる約束を、
私たちに対して示せない状況でした。
残念なことに母親は教育を受ける機会がなかったようで、
それゆえに人格を形成するチャンスも少なく、
自分の感情をありのままに発散し、
他人の話を聞く余裕のない方でした。

TCPの代表である僧侶にお説教をして頂いたり、
プルパ・サンモの母親のゆかりの僧侶にお越しいただいて
説得をしていただいたこともありました。
チベット人にとって僧侶は尊敬の対象であり、
大抵の場合、お坊さんのおっしゃることは
絶対的な力を持っていますが、
母親にはまったく、人の道理や善悪の話が通じませんでした。

長らく、母親が泣き崩れるばかりで
話し合いが成立しないという状況が続いており、
この状況では何も前進しないと判断したスタッフが、
子育てとはどれだけ大変かを母親に体験させる意味合いで
3日間だけプルパ・サンモを母親の元に戻しました。

プルパ・サンモは
「クンデ・ハウスに帰りたい。ママ(スタッフ加藤のこと)に会いたい」と
3日間泣き続け、
ご近所の方々が、ご機嫌を取るために
たくさん素敵なお菓子を与えても
「クンデ・ハウスに持って帰って、みんなで分けて食べる」と
硬くなに食べる事を拒んでいたそうです。

残念なことに、このプルパ・サンモの態度が、母親に
「子どもが自分に懐かないのは、TCPのせいだ」という
まったくお門違いな思考を生み出させ、
そこからTCPへの攻撃が始まりました。

母親に「子どもを無理やり剥ぎ取られた」と
嘘を吹き込まれた十数人のチベット人が
TCPに乗り込み、数時間にわたって
「子どもを返せ」「人さらい」などと罵倒するということが、
何度も起こりました。

そして9月6日には、
子ども達の通う亡命政府の学校に、無許可で十数名が乱入し、
プルパ・サンモを、力ずくで奪還しようとする事件が起きました。

校長から連絡を受けたスタッフが学校に向かい、
その場で乱入したチベット人達は排除されました。
しかしその人々に、スタッフが校門前で取り囲まれ、
数十分にわたって激しく罵声を受けました。

「警察を呼ぶ!」と相手が言い出したので、
これ幸いと警察に連絡するように言いました。
TCPのクンデ・ハウスは
政府の認可を得て運営している児童養育施設であり、
その名簿にはプルパ・サンモの名前も登録されており、
警察を呼べば私たちの立場が立証されるからです。
感情的に騒ぎ立てていたチベット人たちも、
この冷静な態度にさすがに立場が悪くなると気づいた様子で、
結局警察の出動にはなりませんでした。

その後、学校に乱入した人々はTCPに乗り込み、
また口汚くののしり、騒ぎ立てました。

このような騒ぎは、9月に入って連日のように起こっており
あまりに何度も騒ぎを起こしては、
今後の運営にも関わると判断したアムチが
最終的に、プルパ・サンモを母親に返すことを決定しました。

これまでの2年数ヶ月という
TCPでの楽しく文化的で安定した生活の時間よりも、
実母であるということが最大の決め手になって、
引き渡さざるを得なかったことが、
スタッフとしても大変辛いです。

TCPを出れば保護者が変わるので、 
学校が退学扱いになること。
今後はきちんと入学手続きをして授業料を支払い、
学用品を準備して、母親の責任で通わせることなど、
いくつか最低限の生活環境を保障する約束を交わし、
泣く泣く母親に引き渡すことになりました。

プルパ・サンモはクンデ・ハウスを離れたくないと
泣きじゃくっていました。
子どもたちも大泣きをしました。
スタッフは感情を押し殺し、仕方なく
「お母さんはあなたがいないと生きられないと言っているから、
今後はお母さんを助けていくように」と最後のお説教をし、
プルパ・サンモは母親に連れられてクンデ・ハウスを退去しました。

退去した翌日、子どもたちを学校に送ってゆくと、
母親がプルパ・サンモを学校に連れてきていました。
母親は当然これまでと同じく
学校に通えるものという態度でした。
あれほど説明した一切を、
まったく理解していませんでした。
未だ、面倒なことは何でもTCPが
やってくれると思っている様子でした。
この事実に、スタッフは暗澹たる気持ちになりました。

このことから考えるに、今後、
プルパ・サンモの養育が母親の手に余って
TCPに返しに来る可能性があるのではないかと考えて
しばらく様子を見たいと考えました。
しかし、母親からのコンタクトはありませんでした。

プルパ・サンモの退去直後は、
スタッフも気持ちの整理がつかず
何とか帰ってきはしないかとの希望を
捨て切れませんでしたが
過去に執着をせず、現実を受け入れて気持ちを切り替え
プルパ・サンモと母親が、
不自由なく平穏な生活が出来るようにと
今後は祈りたいと思っています。

このような事態になりましたこと、
また、何よりもプルパ・サンモが
クンデ・ハウスに残りたいという意思だったのに、
それを実現できなかったことを、
これまでご支援くださったサポーターの皆様に、
深くお詫び申し上げます。

このようにご報告をすると
まるで母親が、ワガママな方のように映ってしまうかもしれません。
確かに、ワガママな行動を起こす人ではあると思います。
ただその原因は、長くチベットの置かれた不遇な状況の犠牲となって
教育を受ける機会さえ与えられないことから来る
広い意味での無知が、一番の問題なのだと考えます。

このような出来事に触れ、
改めて教育の大切さを再認識しています。
ことに、その後の人生の価値観を決定付けてしまう
初等教育は、本当に大事です。

今回のことを深く心に刻み
無知の連鎖を断ち切るため
よりいっそう、子ども達の教育には
今後、力を入れてゆきたいと思っています。

前歯が抜け、成長したな…と思っていた8月末の写真。
プサンモ
プルパ・サンモと母親、それに関わる人々が
平穏で幸せな生活が出来るようにと
願わずにはいられません。

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